古文で読みたい

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徒然草238|御随身近友が自讃とて、七箇条書き留めたることあり。みな馬芸・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

筆者自身の7つの自慢話。論語の出典指摘、書の鑑定、漢詩の誤り指摘など、その博識ぶりと鋭い観察眼を披露する。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

護衛官の近友という人が自慢話だとして、七項目を書き留めたものがありました。

随身みずいじん近友ちかとも自讃じさんとて、七箇条しちかじょうめたることあり。

どれも馬術のことで、どうということもない事柄です。

みな馬芸ばげい、させることなきことどもなり。

その例を思い出して、私にも自慢したいことが七つあります。

そのためしをおもひて、自讃じさんのこと、ななつあり。

 

 

①一つ。大勢の人を連れて、花見に歩いていた時、最勝光院のあたりで、

ひとつひとあまたれて、花見はなみありきしに、最勝光院さいしょうこういんあたりにて、

ある男が、馬を走らせているのを見て、

をのこの、うまはしらしむるをて、

「もう一度馬を走らせたら、馬が倒れて落ちるだろう。

いま一度いちどうまするものならば、うまたふれてつべし。

しばらく見ていなさい」と立ち止まっていると、また馬を走らせました。

しばしたまへ」とて、とどまりたるに、またうます。

止めようとした所で、馬は倒れ、乗り手は、泥の中に転げ落ちました。

とどむるところにて、うまたおして、ひと泥土でいどなかころる。

私の言葉が間違わなかったことに、人々は、感心しました。

その言葉ことばあやまらざることを、ひと、みなかんず。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

②一つ。当代の天皇が、まだ皇太子でいらっしゃった頃、万里小路の館にお住まいでした。

ひとつ当代とうだい、いまだぼうにおはしまししころ、万里小路までのこうじ殿どの御所ごしょなりしに、

堀川大納言様が、仕えていた控室へ、用事があって参上しました。

堀川ほりかわ大納言だいなごん殿どの伺候しこうたまひし御曹司みざうしへ、ようありてまいりたりしに、

論語の四、五、六の巻を広げて、

論語ろんごろくかんをくりひろたまひて、

「今、御所で『紫が朱を奪うことを憎む』

「ただいま御所ごしょにて、『むらさきしゅうばふことをにくむ』

という文をご覧になりたいとのことで、

といふふみ御覧ごらんぜられたきことありて、

探しているが見つからないのだ。

御本ごほん御覧ごらんずれども、御覧ごらんだされぬなり。

『もっとよく探せ』とのお言葉で探している」

『なほよくよ』とおおせごとにて、もとむるなり」

とおっしゃるので、

おおせらるるに、

「それは九の巻の、そのあたりにございます」と申し上げたところ、

かんの、そこそこのほどにはべる」ともうしたりしかば、

「おお、ありがたい」と言って、持って行かれました。

「あなうれし」とて、まいらせたまひき。

これくらいのことは、子供でも知っていますが、昔の人は

かほどのことは、ちごどももつねのことなれど、むかしひとは、

些細なことも自慢げに書いたものです。

いささかのことをも、いみじく自讃じさんしたるなり。

後鳥羽院が歌のことで、

後鳥羽院ごとばのいん御歌おうたに、

「袖と袂を、一首の中に使うのは良くないか」

そでたもとと、一首いっしゅのうちにしかりなんや」

と定家卿にお尋ねになった時、

定家卿ていかきょうたずおおせられたるに、

 

 

「秋の野の草の袂か花すすき 穂に出て招く袖と見ゆらん」

あきくさのたもとかはなすすきでてまねそでゆらん』

という古歌もございますので。何の問題がありましょうかと申し上げたことも、

はべれば。何事なにごとそうろふべきともうされたることも、

「とっさに、古歌を思い出したのは、歌の道の御加護、幸運だ」

ときたりて。本歌ほんか覚悟かくごす。みち冥加みょうがなり。高運こううんなり」

などと、大げさに書き残しておられます。

など、ことことしくしるかれはべるなり。

九条伊通公の自薦状にも、

九条くじょう相国しょうこく伊通これみちこう款状くわんじょうにも、

たいしたことない項目を記載して、自慢しておられます。

ことなることなき題目だいもくをもせて、自讃じさんせられたり。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

③一つ。常在光院の鐘の銘は、在兼卿の下書きでした。

ひとつ常在光院じょうざいこういんがねめいは、在兼ありかねきょうそうなり。

行房朝臣が清書し、鋳型に移そうとしていた時、

行房ゆきふさ朝臣あそん清書せいしょして、鋳型いかたうつさせんとせしに、

責任者の入道が下書きを取り出して私に見せましたが、

奉行ぶぎょう入道にゅうどう、かのそうでてはべりしに、

「花の外に夕べを送れば、声は百里に聞こゆ」という句がありました。

はなほかゆうべおくれば、こえ百里ひゃくりこゆ」といふあり。

「陽韻・唐韻と見えるので、百里は誤りでは」と申し上げたところ、

陽唐ようとういんゆるに、百里ひゃくりあやまりか」ともうしたりしを、

「お見せしてよかった。私の手柄になります」と言って、

「よくぞたてまつりける。おのれが高名こうみょうなり」とて、

清書者のもとへ連絡させると、

筆者ひっしゃのもとへひやりたるに、

「間違っていました。『数行』と直してください」と返事がありました。

あやまはべりけり。数行すかうなおさるべし」と返事かえりごとはべりき。

「数行」もどういう意味か。もしかしたら数歩の意か。

数行すかうもいかなるべきにか。もし数歩すほこころか。

はっきりしない。「数行」も疑わしい。「数」は四、五のことだ。

おぼつかなし。数行すかうなほ不審ふしんすうなり。

鐘の音が四、五歩では、近すぎる。ただ遠くまで聞こえるという意だろう。

かねいくくならざるなり。ただとおこゆるこころなり。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

④一つ。大勢で比叡山の三塔(東塔、西塔、横川)を巡礼した時、

ひとつひとあまたともなひて、三塔さんとう巡礼じゅんれいのことはべりしに、

横川の常行堂に龍華院と書かれた古い額がありました。

横川よかわ常行堂じょうぎょうどうのうち、龍華院りゅうげいんけるふるがくあり。

藤原佐理藤原行成の書か議論があり、未決着と伝わっています」

佐理さり行成こうぜいのあひだうたがひありて、いまだけっせずともうつたへたり」

とお堂の僧は、もったいぶって申しました。

と、堂僧どうそう、ことごとしくもうはべりしを、

「行成なら裏書があるはず、佐理なら無いはずだ」

行成こうぜいならば裏書うらがきあるべし。佐理さりならば裏書うらがきあるべからず」

と言いました。

ひたりしに、

裏は塵がつもって、虫の巣で汚らしくなっているのを、

うらちりもり、むしにていぶせげなるを、

よく掃除して拭いて、皆で見たところ、

よくきのごひて、おのおのはべりしに、

行成の官位・名字・年号が、はっきりと書かれていました。

行成こうぜい位署いしょ名字みょうじ年号ねんごう、さだかにはべりしかば、

人々は皆、感心しました。

ひと、みなきょうる。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

⑤一つ。那蘭陀寺で、道眼聖が、説法をしていた時、八災が何だったか忘れて、

ひとつ那蘭陀寺ならんだいじにて、道眼どうげんひじり談議だんぎせしに、八災はっさいといふことをわすれて、

「ご存知の方はおられませんか」と尋ねましたが、弟子たちは誰も覚えていませんでした。

「これやおぼたまふ」とひしを、所化しょけみなおぼえざりしに、

私が部屋の中から、「これこれではありませんか」と申し上げたところ、たいそう感心しておられました。

つぼねうちより、「これこれにや」としたれば、いみじくかんはべりき。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

⑥一つ。賢助僧正のお供で加持香水(香料を混ぜた水を清める儀式)を見に行った時、

ひとつ賢助けんじょ僧正そうじょうにともなひて、加持香水かじこうずいはべりしに、

まだ終わらないうちに、僧正が退出されました。

いまだてぬほどに、僧正そうじょうかえりてはべりしに、

会場の外にも僧都の姿が見えません。法師たちを戻して、探させましたが、

じんほかまで僧都そうずえず。法師ほうしどもをかえして、もとめさするに、

「同じ格好の僧侶が多くて見つけられません」と言って、

おなじさまなる大衆だいしゅおおくて、えもとめあはず」とひて、

ずいぶん時間が経ってから出てきました。

いとひさしくてでたりしを、

僧正が「困ったことだ。そなた、探してきなさい」と私に言われたので、

「あなわびし。それ、もとめておはせよ」とはれしに、

戻って入って、すぐに連れて出ることができました。

かえりて、やがてしてでぬ。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

⑦一つ。二月十五日の月が明るい夜、更けてから

ひとつ二月にがつ十五日じゅうごにちつきかき、うちけて、

千本の釈迦堂に参詣し、後ろから入って、

千本せんぼんてらもうでて、うしろよりりて、

ひとりで、顔を隠して、説法を聞いていました。

一人ひとりかおふかかくして、聴聞ちょうもんはべりしに、

優美な女性で、姿・雰囲気が、並ではない人が、

ゆうなるおんなの、姿すがたにおひ、ひとよりことなるが、

分け入ってきて、膝に寄り掛かったので、

りてひざにゐかかれば、

香りが移りそうなので、「都合が悪い」と思い、

におひなどもうつるばかりなれば、「便悪びんあし」とおもひて、

すり抜けましたが、それでもすり寄ってきて、同じ様子なので、

すりのきたるに、なほゐりて、おなじさまなれば、

席を立ちました。

ちぬ。

後日、あるお方の古参の女房が、

そののち、ある御所ごしょさまのふる女房にょうぼうの、

雑談のついでに、

そぞろごとはれしついでに、

『ひどく無粋な方でいらしゃいました。

無下むげいろなきひとにおはしけりと、

つれないお方だ』

おとしたてまつることなんありし。なさけなし』

と恨んでおられる方がいますよと、おっしゃいました。

うらたてまつひとなんあると、のたまひだしたるに、

「全く心当たりがございません」と言っておわりました。

「さらにこそ心得こころえはべらね」ともうしてやみぬ。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

後で聞いた話では、あの説法の夜、

このことのちはべりしは、かの聴聞ちょうもん

部屋の中から、高貴な方が私をご覧になっており、

御局みつぼねうちより、ひと御覧ごらんりて、

女房を美しく着飾らせてお出しになって、

さぶらふ女房にょうぼうつくてていだたまひて、

「うまくいけば、言葉でもかけなさい。

便びんよくは、言葉ことばなどかけんものぞ。

その様子を報告せよ。面白かろう」

そのありさま、まいりてもうせ。きょうあらん」

と言って、計略されたということです。

とて、はかたまひけるとぞ。

📚古文全文

随身みずいじん近友ちかとも自讃じさんとて、七箇条しちかじょうめたることあり。みな馬芸ばげい、させることなきことどもなり。そのためしをおもひて、自讃じさんのこと、ななつあり。
ひとつひとあまたれて、花見はなみありきしに、最勝光院さいしょうこういんあたりにて、をのこの、うまはしらしむるをて、「いま一度いちどうまするものならば、うまたふれてつべし。しばしたまへ」とて、とどまりたるに、またうます。とどむるところにて、うまたおして、ひと泥土でいどなかころる。その言葉ことばあやまらざることを、ひと、みなかんず。
ひとつ当代とうだい、いまだぼうにおはしまししころ、万里小路までのこうじ殿どの御所ごしょなりしに、堀川ほりかわ大納言だいなごん殿どの伺候しこうたまひし御曹司みざうしへ、ようありてまいりたりしに、論語ろんごろくかんをくりひろたまひて、「ただいま御所ごしょにて、『むらさきしゅうばふことをにくむ』といふふみ御覧ごらんぜられたきことありて、御本ごほん御覧ごらんずれども、御覧ごらんだされぬなり。『なほよくよ』とおおせごとにて、もとむるなり」とおおせらるるに、「かんの、そこそこのほどにはべる」ともうしたりしかば、「あなうれし」とて、まいらせたまひき。かほどのことは、ちごどももつねのことなれど、むかしひとは、いささかのことをも、いみじく自讃じさんしたるなり。後鳥羽院ごとばのいん御歌おうたに、「そでたもとと、一首いっしゅのうちにしかりなんや」と定家卿ていかきょうたずおおせられたるに、「あきくさのたもとかはなすすきでてまねそでゆらん」とはべれば。何事なにごとそうろふべき」ともうされたることも、「ときたりて。本歌ほんか覚悟かくごす。みち冥加みょうがなり。高運こううんなり」など、ことことしくしるかれはべるなり。九条くじょう相国しょうこく伊通これみちこう款状くわんじょうにも、ことなることなき題目だいもくをもせて、自讃じさんせられたり。
ひとつ常在光院じょうざいこういんがねめいは、在兼ありかねきょうそうなり。行房ゆきふさ朝臣あそん清書せいしょして、鋳型いかたうつさせんとせしに、奉行ぶぎょう入道にゅうどう、かのそうでてはべりしに、「はなほかゆうべおくれば、こえ百里ひゃくりこゆ」といふあり。「陽唐ようとういんゆるに、百里ひゃくりあやまりか」ともうしたりしを、「よくぞたてまつりける。おのれが高名こうみょうなり」とて、筆者ひっしゃのもとへひやりたるに、「あやまはべりけり。数行すかうなおさるべし」と返事かえりごとはべりき。数行すかうもいかなるべきにか。もし数歩すほこころか。おぼつかなし。数行すかうなほ不審ふしんすうなり。かねいくくならざるなり。ただとおこゆるこころなり。
ひとつひとあまたともなひて、三塔さんとう巡礼じゅんれいのことはべりしに、横川よかわ常行堂じょうぎょうどうのうち、龍華院りゅうげいんけるふるがくあり。「佐理さり行成こうぜいのあひだうたがひありて、いまだけっせずともうつたへたり」と、堂僧どうそう、ことごとしくもうはべりしを、「行成こうぜいならば裏書うらがきあるべし。佐理さりならば裏書うらがきあるべからず」とひたりしに、うらちりもり、むしにていぶせげなるを、よくきのごひて、おのおのはべりしに、行成こうぜい位署いしょ名字みょうじ年号ねんごう、さだかにはべりしかば、ひと、みなきょうる。
ひとつ那蘭陀寺ならんだいじにて、道眼どうげんひじり談議だんぎせしに、八災はっさいといふことをわすれて、「これやおぼたまふ」とひしを、所化しょけみなおぼえざりしに、つぼねうちより、「これこれにや」としたれば、いみじくかんはべりき。
ひとつ賢助けんじょ僧正そうじょうにともなひて、加持香水かじこうずいはべりしに、いまだてぬほどに、僧正そうじょうかえりてはべりしに、じんほかまで僧都そうずえず。法師ほうしどもをかえして、もとめさするに、「おなじさまなる大衆だいしゅおおくて、えもとめあはず」とひて、いとひさしくてでたりしを、「あなわびし。それ、もとめておはせよ」とはれしに、かえりて、やがてしてでぬ。
ひとつ二月にがつ十五日じゅうごにちつきかき、うちけて、千本せんぼんてらもうでて、うしろよりりて、一人ひとりかおふかかくして、聴聞ちょうもんはべりしに、ゆうなるおんなの、姿すがたにおひ、ひとよりことなるが、りてひざにゐかかれば、におひなどもうつるばかりなれば、「便悪びんあし」とおもひて、すりのきたるに、なほゐりて、おなじさまなれば、ちぬ。そののち、ある御所ごしょさまのふる女房にょうぼうの、そぞろごとはれしついでに、「『無下むげいろなきひとにおはしけりと、おとしたてまつることなんありし。なさけなし』とうらたてまつひとなんある」と、のたまひだしたるに、「さらにこそ心得こころえはべらね」ともうしてやみぬ。
このことのちはべりしは、かの聴聞ちょうもん御局みつぼねうちより、ひと御覧ごらんりて、さぶらふ女房にょうぼうつくてていだたまひて、「便びんよくは、言葉ことばなどかけんものぞ。そのありさま、まいりてもうせ。きょうあらん」とて、はかたまひけるとぞ。