真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
人生は満月のように儚い。俗世の願いは後回しにせず、ただちに万事を捨て仏道に励むべきだという人生の教訓。
🌙現代語対訳
満月の円い状態は、束の間もとどまることなく、
望月の円かなることは、しばらくも住せず、
すぐに欠け始めます。
やがて欠けぬ。
よく注意していない人には、たった一晩のうちに、
心とどめぬ人は、一夜の中に、
それほど形が変わるようには見えないかもしれません。
さまで変るさまも見えぬにやあらん。
病気が重くなるのも、停滞することなく、死期は近づいています。
病の重るも、住するひまなくして、死期すでに近し。
それなのに、まだ深刻でなく、死に直面していない間は、
されども、いまだ病急ならず、死におもむかざるほどは、
世の中が変わらず平穏な生活が続くという考え方に慣れ親しんで、
常住平生の念に習ひて、
「人生で多くのことを成し遂げた後で、静かに仏の道を修行しよう」
「生の中に多くのことを成じて後、閑かに道を修せん」
と思っています。しかし、
と思ふほどに、
病気になって死が迫った時、願いは何一つ成就していません。
病を受けて死門にのぞむ時、所願一事も成ぜず。
どうしようもなく、長年の怠惰を後悔して、
いふかひなくて、年月の懈怠を悔いて、
「今回、もし病気が治って命が助かったなら、
「このたび、もち立ちなほりて命を全くせば、
昼も夜も惜しんで、あれもこれも、
夜を日につぎて、このこと、かのこと、
怠ることなく成し遂げよう」と願を立てるでしょうが、
怠らず成じてん」と願ひをおこすらめど、
やがて病は重くなり、我を忘れて、混乱したまま死にます。
やがて重りぬれば、われにもあらず、取り乱して果てぬ。
このような例ばかりでしょう。
このたぐひのみこそあらめ。
このことを、人々は何よりも急いで心に留めておくべきです。
このこと、まづ人々急ぎ心に置くべし。
やりたい事をすべてやった後で、時間ができてから、仏道に入ろうと思っても、
所願を成じて後、暇ありて、道に向はんとせば、
やりたい事が尽きることはありません。
所願尽くべからず。
幻のようなこの人生で、何を成し遂げられるというのでしょうか。
如幻の生の中に、何事をかなさん。
結局、やりたい事はすべて妄想です。
すべて、所願みな妄想なり。
「心に願いが浮かんだら、それは迷いの心が乱れているのだ」と悟って、
「所願心に来たらば、妄心迷乱す」と知りて、
一つとして実行してはなりません。
一事をもなすべからず。
ただちに万事を捨て去って仏道に向かう時、
ただちに万事を放下して道に向ふ時、
妨げもなく、余計な活動もなくなり、
さはりなく、所作なくて、
心も体も永く閑かになります。
心身ながく閑かなり。
📚古文全文
望月の円かなることは、しばらくも住せず、やがて欠けぬ。心とどめぬ人は、一夜の中に、さまで変るさまも見えぬにやあらん。
病の重るも、住するひまなくして、死期すでに近し。されども、いまだ病急ならず、死におもむかざるほどは、常住平生の念に習ひて、「生の中に多くのことを成じて後、閑かに道を修せん」と思ふほどに、病を受けて死門にのぞむ時、所願一事も成ぜず。いふかひなくて、年月の懈怠を悔いて、「このたび、もち立ちなほりて命を全くせば、夜を日につぎて、このこと、かのこと、怠らず成じてん」と願ひをおこすらめど、やがて重りぬれば、われにもあらず、取り乱して果てぬ。このたぐひのみこそあらめ。このこと、まづ人々急ぎ心に置くべし。
所願を成じて後、暇ありて、道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻の生の中に、何事をかなさん。すべて、所願みな妄想なり。「所願心に来たらば、妄心迷乱す」と知りて、一事をもなすべからず。ただちに万事を放下して道に向ふ時、さはりなく、所作なくて、心身ながく閑かなり。