古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草194|達人の人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。たとへば、ある人の・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

達人は人の内面を見抜く眼力を持つ。嘘への反応で人の本性はわかるが、その眼力で仏法を語るべきではない。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

達人が人を見抜く眼力は、少しも間違うことがないはずです。

達人たつじんひとまなこは、すこしもあやまところあるべからず。

たとえば、ある人が、世間で嘘を作り上げて、

たとへば、あるひとの、虚言そらごとをかまへだして、

人をだまそうとしていたとして、素直に真実だと思い込み、

ひとたばかることあらんに、素直すなほにまこととおもひて、

言われるとおりに、だまされる人がいます。

ふままにたばからるるひとあり。

信じ込みすぎるあまり、

あまりにふかしんをおこして、

さらに面倒なことに、嘘に尾ひれをつけてしまう人もいます。

なほわづらはしく、虚言そらごと心得こころえふるひとあり。

また、何とも思わず、気にも留めない人もいます。

また、なにとしもおもはで、こころをつけぬひとあり。

また、少し怪しいと思い、

また、いささかおぼつかなくおもえて、

信じるでもなく、信じないでもなく、考え込んでいる人もいます。

たのむにもあらず、たのまずもあらで、あんじゐたるひとあり。

また、本当だとは思えないけれども、

また、まことしくはおもえねども、

「人がそう言うのだから、そうなのだろう」として、

ひとふことなれば、さもあらん」とて、

それ以上追及しない人もいます。

やみぬるひともあり。

また、色々と推測し、分かったふりをして、

また、さまざまにすいし、心得こころえたるよしして、

賢そうに頷いたり、微笑んだりしているが、

かしこげにうちうなづき、ほほみてゐたれど、

まったく分かっていない人もいます。

つやつやらぬひとあり。

また、推測して、

また、だして、

「なるほど、そういうことらしい」と思いながらも、

「あはれ、さるめり」とおもひながら、

「やはり間違いかもしれない」と疑っている人もいます。

「なほあやまりもこそあれ」とあやしむひとあり。

また、「思った通りだった」と、

また、「ことなるやうもなかりけり」と、

手を叩いて笑う人もいます。

ちてわらひとあり。

また、真相を理解しているが、「知っている」とは言わず、

また、心得こころえたれども、「れり」ともはず、

はっきり分かっているので、特に何事もなく、

おぼつかなからぬは、とかくのことなく、

知らない人と同じようにやり過ごす人もいます。

らぬひとおなじやうにてぐるひとあり。

また、この嘘の本当の意図を初めから理解していて、

また、この虚言そらごと本意ほいはじめより心得こころえて、

まったく動じず、嘘を仕掛けた本人と同じ心になって、

すこしもあざむかず、かまへだしたるひとおなこころになりて、

協力する人もいます。

ちからはするひとあり。

 

 

愚かな者たちの間のたわいもない嘘でさえ、

愚者ぐしやなかたはぶれだに、

物事を分かっている人の前では、これら様々な人々の内心は、

りたるひとまへにては、このさまざまのたるところ

言葉や表情に隠しようもなく現れて、見抜かれてしまうものです。

言葉ことばにてもかほにても、かくれなくられぬべし。

ましてや、悟りを開いたような人が、迷いの中にいる私たちをご覧になる様子は、

まして、あきらかならんひとの、まどへるわれらをんこと、

手のひらの上の物を見るようなものでしょう。

たなごころうへものんがごとし。

 

 

ただし、このような推察をもって、

ただし、かやうのすいはかりにて、

仏法の真理までを同じように語るべきではありません。

仏法ぶつぽふまでをなずらへふべきにはあら。

📚古文全文

達人たつじんひとまなこは、すこしもあやまところあるべからず。
たとへば、あるひとの、虚言そらごとをかまへだして、ひとたばかることあらんに、素直すなほにまこととおもひて、ふままにたばからるるひとあり。あまりにふかしんをおこして、なほわづらはしく、虚言そらごと心得こころえふるひとあり。また、なにとしもおもはで、こころをつけぬひとあり。また、いささかおぼつかなくおもえて、たのむにもあらず、たのまずもあらで、あんじゐたるひとあり。また、まことしくはおもえねども、「ひとふことなれば、さもあらん」とて、やみぬるひともあり。また、さまざまにすいし、心得こころえたるよしして、かしこげにうちうなづき、ほほみてゐたれど、つやつやらぬひとあり。また、だして、「あはれ、さるめり」とおもひながら、「なほあやまりもこそあれ」とあやしむひとあり。また、「ことなるやうもなかりけり」と、ちてわらひとあり。また、心得こころえたれども、「れり」ともはず、おぼつかなからぬは、とかくのことなく、らぬひとおなじやうにてぐるひとあり。また、この虚言そらごと本意ほいはじめより心得こころえて、すこしもあざむかず、かまへだしたるひとおなこころになりて、ちからはするひとあり。
愚者ぐしやなかたはぶれだに、りたるひとまへにては、このさまざまのたるところ言葉ことばにてもかほにても、かくれなくられぬべし。まして、あきらかならんひとの、まどへるわれらをんこと、たなごころうへものんがごとし。
ただし、かやうのすいはかりにて、仏法ぶつぽふまでをなずらへふべきにはあら。