真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
北条時頼(鎌倉幕府第5第執権)の母、松下禅尼が破れた障子を自ら繕う姿を通し、若者に倹約の精神を教えたという逸話。

🌙現代語対訳
相模守であった時頼公の母は、
相模守時頼の母は、
松下禅尼と申しました。
松下禅尼とぞ申しける。
時頼公がおいでになることになりましたが、
守を入れ申さるることありけるに、
煤けた障子の破れたところだけを、
煤けたる明り障子の破ればかりを、
禅尼がご自身で小刀を使い、切り貼りして張っておられたところ、
禅尼、手づから小刀して、切りまはしつつ張られければ、
兄の城介義景が、その日の準備を取り仕切っていましたが、
兄の城介義景、その日の経営して候ひけるが、
「私に任せていただき、誰か使用人に張らせましょう。
「給りて、なにがし男に張らせ候はん。
そのようなことに慣れた者でございます」と申されたところ、
さやうのことに心得たる者に候ふ」と申されければ、
「その男が、私(尼)の細工にまさることはないでしょう」と言って、
「その男、尼が細工によもまさり侍らじ」とて、
やはり、一カ所ずつ張っておられたのを、
なほ一間づつ張られけるを、
義景が「全部を張り替えるのが、
義景、「みなを張り替へ候はんは、
はるかに簡単でしょう。
はるかにたやすく候ふべし。
まだらなのも見苦しいのでは」と、重ねて申されたところ、
まだらに候ふも見苦しくや」と、重ねて申されければ、
「私も『後で、さっぱりと張り替えよう』とは思いますが、
「尼も、『後は、さはさはと張り替へん』と思へども、
今日だけは、わざとこうしておくのです。
今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。
物は破れた所だけを修理して使うものだと、
物は破れたる所ばかりを修理して用ゐる事ぞと、
若い者に見習わせて、心に留めさせるためです」と申されたのは、
若き人に見習はせて、心つけんためなり」と申されける、
実に尊いことでした。
いとありがたかりけり。
世を治める道は、倹約を基本とします。
世を治むる道、倹約をもととす。
女性ではありますが聖人の心に通じておられます。
女性なれども聖人の心にかよへり。
天下を維持するほどの人を子としてお持ちになったのは、
天下を保つほどの人を子にて持たれける、
本当に、ただ人ではなかったということです。
まことに、ただ人にはあらざりけるとぞ。
📚古文全文
相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。守を入れ申さるることありけるに、煤けたる明り障子の破ればかりを、禅尼、手づから小刀して、切りまはしつつ張られければ、兄の城介義景、その日の経営して候ひけるが、「給りて、なにがし男に張らせ候はん。さやうのことに心得たる者に候ふ」と申されければ、「その男、尼が細工によもまさり侍らじ」とて、なほ一間づつ張られけるを、義景、「みなを張り替へ候はんは、はるかにたやすく候ふべし。まだらに候ふも見苦しくや」と、重ねて申されければ、「尼も、『後は、さはさはと張り替へん』と思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心つけんためなり」と申されける、いとありがたかりけり。
世を治むる道、倹約をもととす。女性なれども聖人の心にかよへり。天下を保つほどの人を子にて持たれける、まことに、ただ人にはあらざりけるとぞ。