真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
宿河原で念仏会をしていた「ぼろぼろ」と呼ばれる者同士の仇討ち。仏事を妨げぬよう河原で決闘し、共に死んだ二人の潔さを書き留めた話。

🌙現代語対訳
宿河原(川崎市の南武線宿河原駅付近)というところで、「ぼろぼろ」と呼ばれる乞食僧が多く集まり、
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、
観無量寿経の九品の教えに基づいた念仏会を開いていた時、外から来たぼろぼろが、
九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、
「この中に、いろおし房という方はいらっしゃいますか」
「もし、この御中に、いろおし房と申すぼろやおはします」
と尋ねました。すると中から、「いろおしはここにいる。
と尋ねければ、その中より、「いろをし、ここに候ふ。
そうおっしゃるのは誰だ」と答えると、
かくのたまふは誰」と答ふれば、
「私は、しら梵字という者だ。私の師匠である某という人が、
「しら梵字と申す者なり。おのれが師、何がしと申しし人、
東国で、いろおしというぼろに殺されたと聞いた。
東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、
その人に会って、仇を討ちたいと思い、
『その人に会ひ奉りて、恨み申さばや』と思ひて、
こうして尋ねてきた」といいます。
尋ね申すなり」といふ。
いろおしは、「よくぞ尋ねて来られた。確かにそういうことがあった。
いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。
ここで相手をしては、念仏の場を汚すことになる。
ここにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。
向こうの河原で決着をつけよう。
前の河原へ参り合はん。
くれぐれも、この場の方々は、どちらの味方もしないでいただきたい。
あなかしこ、脇さしたち、何方をもみつぎ給ふな。
大勢の騒ぎになっては、仏事の妨げになりますので」と
数多の煩ひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と
宣言してから、二人は、河原へ出て行き、
言ひ定めて、二人、河原へ出で合ひて、
思う存分に刺し違えて、二人とも死んでしまいました。
心行くばかりに貫き合ひて、ともに死ににけり。
「ぼろぼろ」という者は、昔はなかったのでしょうか。
ぼろぼろといふ者、昔はなかりけるにや。
近年、「ぼろんじ」「梵字」「漢字」
近き世に、「ぼろんじ」、「梵字」、「漢字」
などと呼ばれた者たちが、その始まりだそうだ。
などいひける者、その始めなりけるとかや。
世を捨てたように見えて、執着が強く、仏道を求めているように見えて、
世を捨てたるに似て、我執深く、仏道を願ふに似て、
常に争い事をしています。勝手気ままで恥知らずな振る舞いではありますが、
闘諍をこととす。放逸無慙のありさまなれども、
死を重くとらえず、少しも命に執着しない態度は、
死を軽くして、少しもなづまざるかたの、
潔いものに思えたので、人から聞いたまま、書き付けた次第です。
潔く思えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。

📚古文全文
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中に、いろおし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、ここに候ふ。かくのたまふは誰」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師、何がしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、『その人に会ひ奉りて、恨み申さばや』と思ひて、尋ね申すなり」といふ。
いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。ここにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参り合はん。あなかしこ、脇さしたち、何方をもみつぎ給ふな。数多の煩ひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出で合ひて、心行くばかりに貫き合ひて、ともに死ににけり。
ぼろぼろといふ者、昔はなかりけるにや。近き世に、「ぼろんじ」、「梵字」、「漢字」などいひける者、その始めなりけるとかや。
世を捨てたるに似て、我執深く、仏道を願ふに似て、闘諍をこととす。放逸無慙のありさまなれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたの、潔く思えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。