真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
後ろ向きの狛犬を深い謂れ有りと早合点し感動した聖人。真相は子供のいたずらで、知ったかぶりの滑稽さを描く。

🌙現代語対訳
丹波の国に出雲という所があります。出雲の国の出雲大社を移して、立派に造られています。
丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。
しださんという人が管理する所だったので、秋の頃、聖海上人が、
しだの某とかや知る所なれば、秋のころ、聖海上人、
他の人々も大勢誘って、「さあ、ご一緒に。出雲にお参りしましょう。
そのほかも人あまた誘ひて、「いざ給へ。出雲拝みに。
ぼたもちをご馳走しますよ」と言って、連れて行ったところ、
かいもちひ召させん」とて、具しもて行きたるに、
それぞれお参りを済ませ、たいそう敬虔な気持ちになりました。
おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。
さて、御前にある獅子・狛犬が、反対に後ろ向きに立っていたので、
御前なる獅子・狛犬、そむきて後ろざまに立ちたりければ、
上人はひどく感動して、
上人、いみじく感じて、
「ああ素晴らしい。この獅子の立ち方は、実に珍しい。
「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。
深い謂れがあるのだろう」と涙ぐんで、
深きゆゑあらん」と涙ぐみて、
「皆さん、素晴らしいことに、お気づきになりませんか。
「いかに殿ばら、殊勝の事は、御覧じとがめずや。
なんということだ」と言うと、皆も不思議に思って、
無下なり」といへば、おのおの怪しみて、
「本当に、他とは違っている。都への土産話にしよう」
「まことに、ほかに異なりけり。都のつとに語らん」
などと言うと、上人は、ますます知りたくなって、
など言ふに、上人、なほゆかしがりて、
年配で、事情を知っていそうな神官を呼び、
おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、
「この御社の獅子の置き方には、
「この御社の獅子の立てられやう、
きっと特別な謂れがあることでしょう。お聞かせ願えませんか」
定めて習ひあることに侍らん。ちと承はらばや」
と言うと、
と言はれければ、
「そのことですか。いたずらな子供たちがやったことで。
「そのことに候ふ。さがなき童どもの仕りける。
けしからんことです」と言って、
奇怪に候ふことなり」とて、
さっと近寄り、置き直して去ってしまったので、
さし寄りて、据ゑ直して去にければ、
上人の感動の涙は、無駄になってしまったのでした。
上人の感涙いたづらになりにけり。
📚古文全文
丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかや知る所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも人あまた誘ひて、「いざ給へ。出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。
御前なる獅子・狛犬、そむきて後ろざまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深きゆゑあらん」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は、御覧じとがめずや。無下なり」といへば、おのおの怪しみて、「まことに、ほかに異なりけり。都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひあることに侍らん。ちと承はらばや」と言はれければ、「そのことに候ふ。さがなき童どもの仕りける。奇怪に候ふことなり」とて、さし寄りて、据ゑ直して去にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。