古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草235|主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来ることなし。主なき所には・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

主人のない家や鏡の比喩から、心に様々な思いが浮かぶのは、心に確固たる主がなく、空であるからだと考察している。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

主人のいる家には、見知らぬ人が、勝手に入ってくることはありません。

ぬしあるいえには、すずろなるひとこころのままにることなし。

主人のいない家には、通りすがりの人が、むやみに立ち入り、

あるじなきところには、道行人みちゆきびと、みだりにり、

狐や梟のような動物も、人の気配に妨げられないので、

きつね・ふくろうやうのものも、人気ひとげかれねば、

我が物顔で住み着き、木霊のような、怪しいものまで、

所得顔ところえがほみ、木霊こたまなどいふ、けしからぬかたちも、

現れるものです。

あらはるるものなり。

また、鏡というものは、色や形がないからこそ、あらゆる物の姿が来て映るのです。

また、かがみには、いろかたちなきゆゑに、よろづのかげたりてうつる。

鏡に色や形があったなら、映すことはできないでしょう。

かがみいろかたちあらましかば、うつらざらまし。

何もない空間は、よく物を入れることができます。

虚空こくうよくものる。

私たちの心に、次々と思いが、好き勝手に浮かんでは来るのも、

われらがこころに、念々ねんねんの、ほしきままにたりかぶも、

心というものの実体がないからではないでしょうか。

こころといふもののなきにやあらん。

心に主がいたならば、胸の中に、

こころぬしあらましかば、むねうちに、

多くの雑念が、入り込んでくることはないでしょうに。

若干そこばくのことは、たらざらまし。

📚古文全文

ぬしあるいえには、すずろなるひとこころのままにることなし。あるじなきところには、道行人みちゆきびと、みだりにり、きつね・ふくろうやうのものも、人気ひとげかれねば、所得顔ところえがほみ、木霊こたまなどいふ、けしからぬかたちも、あらはるるものなり。
また、かがみには、いろかたちなきゆゑに、よろづのかげたりてうつる。かがみいろかたちあらましかば、うつらざらまし。
虚空こくうよくものる。われらがこころに、念々ねんねんの、ほしきままにたりかぶも、こころといふもののなきにやあらん。こころぬしあらましかば、むねうちに、若干そこばくのことは、たらざらまし。