真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
主人のない家や鏡の比喩から、心に様々な思いが浮かぶのは、心に確固たる主がなく、空であるからだと考察している。

🌙現代語対訳
主人のいる家には、見知らぬ人が、勝手に入ってくることはありません。
主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来ることなし。
主人のいない家には、通りすがりの人が、むやみに立ち入り、
主なき所には、道行人、みだりに立ち入り、
狐や梟のような動物も、人の気配に妨げられないので、
狐・ふくろうやうの物も、人気に塞かれねば、
我が物顔で住み着き、木霊のような、怪しいものまで、
所得顔に入り住み、木霊などいふ、けしからぬ形も、
現れるものです。
あらはるるものなり。
また、鏡というものは、色や形がないからこそ、あらゆる物の姿が来て映るのです。
また、鏡には、色・形なきゆゑに、よろづの影来たりて映る。
鏡に色や形があったなら、映すことはできないでしょう。
鏡に色・形あらましかば、映らざらまし。
何もない空間は、よく物を入れることができます。
虚空よく物を入る。
私たちの心に、次々と思いが、好き勝手に浮かんでは来るのも、
われらが心に、念々の、ほしきままに来たり浮かぶも、
心というものの実体がないからではないでしょうか。
心といふもののなきにやあらん。
心に主がいたならば、胸の中に、
心に主あらましかば、胸の内に、
多くの雑念が、入り込んでくることはないでしょうに。
若干のことは、入り来たらざらまし。
📚古文全文
主ある家には、すずろなる人、心のままに入り来ることなし。主なき所には、道行人、みだりに立ち入り、狐・ふくろうやうの物も、人気に塞かれねば、所得顔に入り住み、木霊などいふ、けしからぬ形も、あらはるるものなり。
また、鏡には、色・形なきゆゑに、よろづの影来たりて映る。鏡に色・形あらましかば、映らざらまし。
虚空よく物を入る。われらが心に、念々の、ほしきままに来たり浮かぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸の内に、若干のことは、入り来たらざらまし。