古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草232|すべて人は無智無能なるべきものなり。ある人の子の、見ざまなど悪しからぬが・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

知識をひけらかす若者を例に、人は無知無能を装うべきで、特に若者は些細な言動で評価が左右されると説く。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

人は誰でも、無知無能になるべきものです。

すべてひと無智むち無能むのうなるべきものなり。

ある人の息子で、見た目などは悪くない若者がいたが、

あるひとの、ざまなどしからぬが、

父親の前で、人と話している時に、歴史書の一節を引用してみせました。

ちちまえにて、ひと物言ものいふとて、史書ししょふみきたりし。

「利口そうには聞こえるが、目上の方の前では、

「さかしくはこえしかども、尊者そんじゃまえにては、

しなくても良いのに」と思ったものです。

さらずとも」とおもえしなり。

 

また、ある人の家で、「琵琶法師の物語を聞こう」ということになり、

また、あるひとのもとにて、「琵琶びわ法師ほうし物語ものがたりかん」とて。

琵琶法師を呼んだところ、その琵琶の柱が一つ取れてしまっていたので、

琵琶びわせたるに、ぢゆうひとちたりしかば、

「作って付けなさい」と誰かが言うと、

つくりてけよ」とふに、

そこにいた男の中から、身なりの良い男が、

あるおとこなかに、あしからずとゆるが、

「古い柄杓の柄はありませんか」などと言うのを見ると、

ふる柄杓ひさくありや」などふをれば、

爪を伸ばしていました。琵琶などを弾くのでしょう。

つめふしたり。琵琶びわなどくにこそ。

盲目の法師の琵琶のことで、よけいな口出しをすべきではありません。

めくら法師ほうし琵琶びわ、その沙汰さたにもおよばぬことなり。

「この道に心得がある、とでも言いたいのか」と、恥ずかしくなりました。

みち心得こころえたるよしにや」と、かたはらいたかりき。

「柄杓の柄は檜の類で、良くない材料です」

柄杓ひさくは、檜物木ひものぎとかやひて、よからぬものに」

と別の人が言っていました。

とぞ、あるひとおおせられし。

若い人は、本当に些細なことで、良くも見えるし、悪くも見えてしまうものです。

わかひとは、すこしのことも、よくえ、わろゆるなり。

📚古文全文

すべてひと無智むち無能むのうなるべきものなり。
あるひとの、ざまなどしからぬが、ちちまえにて、ひと物言ものいふとて、史書ししょふみきたりし。「さかしくはこえしかども、尊者そんじゃまえにては、さらずとも」とおもえしなり。
また、あるひとのもとにて、「琵琶びわ法師ほうし物語ものがたりかん」とて。琵琶びわせたるに、ぢゆうひとちたりしかば、「つくりてけよ」とふに、あるおとこなかに、あしからずとゆるが、「ふる柄杓ひさくありや」などふをれば、つめふしたり。琵琶びわなどくにこそ。めくら法師ほうし琵琶びわ、その沙汰さたにもおよばぬことなり。「みち心得こころえたるよしにや」と、かたはらいたかりき。「柄杓ひさくは、檜物木ひものぎとかやひて、よからぬものに」とぞ、あるひとおおせられし。
わかひとは、すこしのことも、よくえ、わろゆるなり。