古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草226|後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

学者が失敗で出家後『平家物語』を執筆。盲目の法師・生仏に語らせ、その語り口は今の琵琶法師の基本となった。

・七徳の舞:徳を備えた武によって平和がもたらされることを祝賀する舞

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

後鳥羽院の御代(院政1198-1221)に、信濃前司行長という、

後鳥羽院ごとばいん御時おんとき信濃前司しなののぜんじ行長ゆきなが

学問で評判の人がいました。

稽古けいこほまれありけるが、

漢詩や音楽についての御前討論会に召された際、

楽府がふ論議ごろんぎばんされて、

七徳の舞の構成要素を二つも忘れてしまいました。

七徳しちとくまいふたわすれたりければ、

そのために「五徳君」というあだ名をつけられてしまい、

五徳ごとく冠者かんじゃ」と異名いみょうきにけるを、

これを情けなく思って、

心憂こころうきことにして、

学問を捨てて出家してしまいました。

学問がくもんてて遁世とんせいしたりけるを、

その頃、慈鎮和尚(慈円)は、一つでも秀でた能力がある者であれば、

慈鎮和尚じちんかしょう一芸いちげいあるものをば

身分の低い者でも召し抱えて

下部しもべまでもきて、

不憫に思って面倒を見ておられたので、

不便ふびんにせさせたまひければ、

この行長入道を扶助していました。

この信濃しなの入道にゅうどう扶持ふちたまひけり。

 

 

この行長入道が、『平家物語』を書き上げ、

この行長ゆきなが入道にゅうどう平家物語へいけものがたりつくりて、

生仏という目の見えない法師に教えて、語らせたのです。

生仏しょうぶつといひける盲目もうもくおしへて、かたらせけり。

さて、比叡山延暦寺のことは、特に立派に書かれています。

さて、山門さんもんのことを、ことにゆゆしくけり。

九郎判官(源義経)のことについても、詳しく知った上で書き記しています。

九郎判官くろうほうがんのことはつまびしくしてせたり。

蒲冠者(源範頼)のことについては、よく知らなかったのでしょうか、

蒲冠者かばのかんじゃのことは、よくらざりけるにや、

書き漏らしていることが多くあります。

おおくのことどもしるしもらせり。

武士の暮らしや、弓術や馬術については、生仏が東国の出身だったので、

武士ぶしのこと、弓馬きゅうばのわざは、生仏しょうぶつ東国とうごくものにて、

武士に尋ねて聞き取り、それを行長に書かせたということです。

武士ぶしきてかせけり。

あの生仏の生まれ持った語り口を、

かの生仏しょうぶつまれつきのこえを、

今の琵琶法師たちは手本としているのです。

いま琵琶法師びわほうしまなびたるなり。

📚古文全文

後鳥羽院ごとばいん御時おんとき信濃前司しなののぜんじ行長ゆきなが稽古けいこほまれありけるが、楽府がふ論議ごろんぎばんされて、七徳しちとくまいふたわすれたりければ、「五徳ごとく冠者かんじゃ」と異名いみょうきにけるを、心憂こころうきことにして、学問がくもんてて遁世とんせいしたりけるを、慈鎮和尚じちんかしょう一芸いちげいあるものをば下部しもべまでもきて、不便ふびんにせさせたまひければ、この信濃しなの入道にゅうどう扶持ふちたまひけり。
この行長ゆきなが入道にゅうどう平家物語へいけものがたりつくりて、生仏しょうぶつといひける盲目もうもくおしへて、かたらせけり。さて、山門さんもんのことを、ことにゆゆしくけり。九郎判官くろうほうがんのことはつまびしくしてせたり。蒲冠者かばのかんじゃのことは、よくらざりけるにや、おおくのことどもしるしもらせり。武士ぶしのこと、弓馬きゅうばのわざは、生仏しょうぶつ東国とうごくものにて、武士ぶしきてかせけり。
かの生仏しょうぶつまれつきのこえを、いま琵琶法師びわほうしまなびたるなり。