真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
学者が失敗で出家後『平家物語』を執筆。盲目の法師・生仏に語らせ、その語り口は今の琵琶法師の基本となった。
・七徳の舞:徳を備えた武によって平和がもたらされることを祝賀する舞

🌙現代語対訳
後鳥羽院の御代(院政1198-1221)に、信濃前司行長という、
学問で評判の人がいました。
稽古の誉ありけるが、
漢詩や音楽についての御前討論会に召された際、
楽府の御論議の番に召されて、
七徳の舞の構成要素を二つも忘れてしまいました。
七徳の舞を二つ忘れたりければ、
そのために「五徳君」というあだ名をつけられてしまい、
「五徳の冠者」と異名を付きにけるを、
これを情けなく思って、
心憂きことにして、
学問を捨てて出家してしまいました。
学問を捨てて遁世したりけるを、
その頃、慈鎮和尚(慈円)は、一つでも秀でた能力がある者であれば、
慈鎮和尚、一芸ある者をば
身分の低い者でも召し抱えて
下部までも召し置きて、
不憫に思って面倒を見ておられたので、
不便にせさせ給ひければ、
この行長入道を扶助していました。
この信濃入道を扶持し給ひけり。
この行長入道が、『平家物語』を書き上げ、
この行長入道、平家物語を作りて、
生仏という目の見えない法師に教えて、語らせたのです。
生仏といひける盲目に教へて、語らせけり。
さて、山門のことを、ことにゆゆしく書けり。
九郎判官(源義経)のことについても、詳しく知った上で書き記しています。
九郎判官のことは詳しく知して書き載せたり。
蒲冠者(源範頼)のことについては、よく知らなかったのでしょうか、
蒲冠者のことは、よく知らざりけるにや、
書き漏らしていることが多くあります。
多くのことども記しもらせり。
武士の暮らしや、弓術や馬術については、生仏が東国の出身だったので、
武士のこと、弓馬のわざは、生仏、東国の者にて、
武士に尋ねて聞き取り、それを行長に書かせたということです。
武士に問ひ聞きて書かせけり。
あの生仏の生まれ持った語り口を、
かの生仏が生まれつきの声を、
今の琵琶法師たちは手本としているのです。
今の琵琶法師は学びたるなり。
📚古文全文
後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、「五徳の冠者」と異名を付きにけるを、心憂きことにして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば下部までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。
この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて、語らせけり。さて、山門のことを、ことにゆゆしく書けり。九郎判官のことは詳しく知して書き載せたり。蒲冠者のことは、よく知らざりけるにや、多くのことども記しもらせり。武士のこと、弓馬のわざは、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。
かの生仏が生まれつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。