真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
白拍子の起源譚。通憲入道が男装の舞を磯の禅師に教えたのが始まりで、娘の静が継ぎ、後鳥羽院なども曲を作った。

🌙現代語対訳
多久資という人が、こう申しました。
多久資が申しけるは、
「通憲入道信西(藤原通憲)が、様々な舞の中から、おもしろい所作を選び出して、
「通憲入道、舞の手の中に興あることどもを選びて、
磯の禅師という女性に教えて舞わせたのが始まりです。
磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。
その時、白い水干を着せ、鞘巻という刀を差させ、烏帽子をかぶらせたので、
白き水干に鞘巻を差させ、烏帽子をひき入れたりければ、
これを『男舞』と呼びました。
男舞とぞ言ひける。
磯の禅師の娘で、静という人がこの芸を受け継ぎました。
禅師が娘、静といひける、この芸を継げり。
これが白拍子の始まりです。
これ白拍子の根元なり。
神や仏の由来などを歌うものです。
仏神の本縁を歌ふ。
その後、源光行も多くの曲を作りました。
その後、源光行、多くのことを作れり。
後鳥羽院がお作りになった曲もあり、亀菊という白拍子に教えたということです」
後鳥羽院の御作もあり。亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。
📚古文全文
多久資が申しけるは、「通憲入道、舞の手の中に興あることどもを選びて、磯の禅師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に鞘巻を差させ、烏帽子をひき入れたりければ、男舞とぞ言ひける。
禅師が娘、静といひける、この芸を継げり。これ白拍子の根元なり。仏神の本縁を歌ふ。
その後、源光行、多くのことを作れり。後鳥羽院の御作もあり。亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。