真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
ある大金持ちが説く富を築くための心得と、それに対する筆者の批判。欲望を断ち金を使わない富者は貧者と同じで「大欲は無欲に似たり」と喝破する。

🌙現代語対訳
ある大金持ちが言いました。
ある大福長者のいはく、
「人は他のすべてのことをさておき、ひたすらに富を身につけるべきである。
「人はよろづをさしおきて、ひたぶるに徳をつくべきなり。
貧乏では生きている甲斐がない。
貧しくては生けるかひなし。
裕福な者だけが人間なのだ。
富めるのみを人とす。
富を身につけようと思うなら、すべきことは、
徳を付かんと思はば、すべからく、
まず、そのための心構えを修行しなければならない。
まづその心づかひを修行すべし。
その心構えとは、別に難しいことではない。
その心と言ふは他のことにあらず。
人の命は永遠に続くものだという考えを持って、
人間常住の思ひに住して、
決して無常(すべて儚い)を考えてはならない。
仮にも無常を観ずることなかれ。
これが、第一の心得である。
これ、第一の用心なり。
次に、あらゆる欲求を満たそうとしてはならない。
次に、万事の用をかなふべからず。
人間の世の中では、自分も他人も、願い事はきりがない。
人の世にある、自他につけて所願無量なり。
欲のままに、願いを叶えようとすれば、
欲にしたがひて、志を遂げんと思はば、
百万のお金があっても、一瞬でなくなってしまう。
百万の銭ありといふとも、しばらくも住すべからず。
願いには終わりがないが、財産には限りがある。
所願は止む時なし。財は尽くる期あり。
限りのある財産で、限りない願いを追いかけることは、
限りある財を持ちて、限りなき願ひにしたがふこと、
できるはずがない。
得べからず。
心に何か願いが芽生えたら、
所願心にきざすことあらば、
『自分を滅ぼす悪魔がやって来た』と考え、
『われを滅ぼすべき悪念きたれり』と、
固く慎み恐れて、小さなことであっても実行してはならない。
固く慎しみ恐れて、小要をもなすべからず。
次に、金銭を召使いのように、使うものと思ったら、
次に、銭を奴のごとくして、使ひ用ゐるものと知らば、
いつまでも貧困から逃れられない。
長く貧苦をまぬかるべからず。
主君のように、神のように、金銭を恐れ敬いなさい。
君のごとく、神のごとく、恐れ尊みて、
思うままに、使ってはならない。
したがへ、用ゐることなかれ。
次に、恥辱を感じることがあっても、怒ったり恨んだりしてはいけない。
次に、恥にのぞむといふとも、怒り恨むることなかれ。
次に、正直で、約束は固く守らなければならない。
つぎに、正直にして約を固くすべし。

こうした正しい道を守って、利益を求める人には、富がやってくることは、
この義を守りて、利を求めん人は、富の来たること、
火が乾いたものに燃えつき、水が低いほうへ流れるようになるにちがいない。
火の乾けるにつき、水の下れるにしたがふがごとくなるべし。
金銭が貯まって尽きることがなくなれば、
銭積りて尽きざる時は、
酒宴や色恋にふけることもなく、住まいを飾り立てることもなく、
宴飲声色をこととせず、居所を飾らず、
願い事を叶えなくても、心はいつまでも安らかで楽しいものである」と申しました。
所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く楽し」と申しき。
そもそも、人は願いを叶えるために、財産を求めるものです。
そもそも、人は所願を成ぜんがために、財を求む。
金銭が宝である理由は、願いが叶えられるからです。
銭を財とすることは、願ひをかなふるがゆゑなり。
願いがあるのにそれを叶えず、金銭があるのにそれを使わないのであれば、
所願あれどもかなへず、銭あれども用ゐざらんは、
全くの貧乏人と同じです。何の楽しみがあるというのでしょうか。
全く貧者と同じ。何をか楽しびとせん。

この掟は、結局のところ、「人間の望みを断って、
この掟は、ただ、「人間の望を断ちて、
貧乏を嘆いてはならない」と聞こえました。
貧を憂ふべからず」と聞こえたり。
願いを叶えて楽しむよりは、いっそ、財産などないほうがましです。
欲を成じて楽しびとせんよりは、しかじ、財なからんには。
腫物を病んでいる者が、水で洗う楽になるよりは、
癰疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、
病んでいないほうが良いのと同じです。
病まざらんにはしかじ。
ここまでいくと、金持ちも貧乏人も変わりありません。
ここに至りては、貧富分く所なし。
究極の境地は初心者と同じ。大欲は無欲に似たりです。
究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり。
📚古文全文
ある大福長者のいはく、「人はよろづをさしおきて、ひたぶるに徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳を付かんと思はば、すべからく、まづその心づかひを修行すべし。その心と言ふは他のことにあらず。人間常住の思ひに住して、仮にも無常を観ずることなかれ。これ、第一の用心なり。次に、万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲にしたがひて、志を遂げんと思はば、百万の銭ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止む時なし。財は尽くる期あり。限りある財を持ちて、限りなき願ひにしたがふこと、得べからず。所願心にきざすことあらば、『われを滅ぼすべき悪念きたれり』と、固く慎しみ恐れて、小要をもなすべからず。次に、銭を奴のごとくして、使ひ用ゐるものと知らば、長く貧苦をまぬかるべからず。君のごとく、神のごとく、恐れ尊みて、したがへ、用ゐることなかれ。次に、恥にのぞむといふとも、怒り恨むることなかれ。つぎに、正直にして約を固くすべし。この義を守りて、利を求めん人は、富の来たること、火の乾けるにつき、水の下れるにしたがふがごとくなるべし。銭積りて尽きざる時は、宴飲声色をこととせず、居所を飾らず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く楽し」と申しき。
そもそも、人は所願を成ぜんがために、財を求む。銭を財とすることは、願ひをかなふるがゆゑなり。所願あれどもかなへず、銭あれども用ゐざらんは、全く貧者と同じ。何をか楽しびとせん。
この掟は、ただ、「人間の望を断ちて、貧を憂ふべからず」と聞こえたり。欲を成じて楽しびとせんよりは、しかじ、財なからんには。癰疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんにはしかじ。ここに至りては、貧富分く所なし。
究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり。