徒然草190|妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。いつも独り住みにてなど聞くこそ・・・
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
男にとって妻を持つことは価値を下げるものだと説く。結婚を否定し、独身を賛美し、たまに会うのが理想の関係だと語る。

🌙現代語対訳
妻というものは、男が持つべきではありません。
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。
「いつも独り暮らしだ」などと聞くと、魅力的に感じられます。
「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ。
「誰それが婿になった」とか、
「誰がしが婿になりぬ」とも、また、
「こんなような女性を向かい入れて、同居している」などと聞くと、
「いかなる女を取り据ゑて、相住む」など聞きつれば、
どうしようもなくがっかりさせられます。
無下に心劣せらるるわざなり。
「たいしたこともない女を、良いと心に決めて
「ことなることなき女を、よしと思ひ定めてこそ
連れ添ったのだろう」などと、推し量られるかもしれない。
添ひ居たらめ」と、いやしくも推し量られ、
いい女ならば、「この男のことを、愛しく思って、
よき女ならば、「この男をぞらうたくして、
仏様だと守りながら暮らしているのだろう」と思われてしまう。
あが仏とまもり居たらめ」、
結局「その程度だったか」と思われてしまうに違いありません。
たとへば、「さばかりにこそ」と思えぬべし。
まして、家の中をしっかり治めているような妻は、実に残念です。
まして、家のうちを行ひ治めたる女、いと口惜。
子供などが生まれて、大切に可愛がっている様子は、情けなく感じます。
子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。
夫が亡くなった後、妻が尼になって年老いていく姿は、
男亡くなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、
夫の死後まで、嘆かわしいありさまです。
亡き跡まであさまし。
どんな女であっても、朝から晩までずっと一緒にいれば、
いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んには、
きっと気に食わなくなり、嫌になるでしょう。
いと心づきなく、憎かりなん。
女の側にとっても、心が満たされない状態に違いありません。
女のためも、半空にこそならめ、
離れて暮らしながら、時々訪ねていくという関係こそ、
よそながら時々通ひ住まんこそ、
年月が経っても、いつまでも長続きするでしょう。
年月経ても、絶えぬながらひともならめ。
ふらりとやって来て、泊まっていくような関係は、
あからさまに来て、泊り居などせんは、
新鮮で素晴らしいに違いありません。
めづらしかりぬべし。

📚古文全文
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ。
「誰がしが婿になりぬ」とも、また、「いかなる女を取り据ゑて、相住む」など聞きつれば、無下に心劣せらるるわざなり。「ことなることなき女を、よしと思ひ定めてこそ添ひ居たらめ」と、いやしくも推し量られ、よき女ならば、「この男をぞらうたくして、あが仏とまもり居たらめ」、たとへば、「さばかりにこそ」と思えぬべし。
まして、家のうちを行ひ治めたる女、いと口惜。子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。男亡くなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。
いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のためも、半空にこそならめ、よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても、絶えぬながらひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、めづらしかりぬべし。