真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
ポイント
逸話を例に、先延ばしを戒める。一つの大事を成すには、他を捨てて即座に行動することが肝要だと説いている。

🌙現代語対訳
ある人が、自分の子供をお坊さんにして、
ある者、子を法師になして、
「学問をして因果の道理をも知り、
「学問して因果の理をも知り、
説経などして、生きていくための技術としなさい」と言い聞かせたので、
説経などして、世渡るたつきともせよ」と言ひければ、
教えのままに、説経師になるために、
教へのままに、説経師にならんために、
まず馬に乗る練習を始めた。
まづ馬に乗り習ひけり。
「コシや牛車も持てない身分で、導師として招かれた時、
「輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、
馬などを迎えによこされたのに、
馬など迎へにおこせたらんに、
乗り方が下手で落馬でもしたら情けないだろう」と思ったからである。
桃尻にて落ちなんは心憂かるべし」と思ひけり。
次に、「法事の後、酒などを勧められることがあるだろうが、
次に、「仏事ののち、酒など勧むることあらんに、
お坊さんがあまりに無芸では、檀家もがっかりするだろう」
法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべし」
ということで『早歌』というものを習った。
とて、早歌といふことを習ひけり。
この歌が、だんだん上達してくると、
このわざ、やうやう境に入りければ、
ますます上手にやりたいと思って稽古するうちに、
いよいよよくしたく思えて嗜みけるほどに、
説経を習う時間がなくて、年を取ってしまった。
説経習ふべきひまなくて、年寄にけり。
このお坊さんだけの話ではなく、世間の人は、みな同じようなことをしている。
この法師のみにもあらず、世間の人、なべてこのことあり。
若い頃は、様々なことで、生計を立て立派になり、
若きほどは、諸事につけて、身を立て、
大きな道を成し遂げ、技能を習得し、学問をしようと、
大なる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、
将来の計画を心に描きながらも、
行末久しくあらますことども心にはかけながら、
人生はまだ長いと思い、怠けているうちに、
世をのどかに思ひて、うち怠りつつ、
目の前のことにばかり紛れて
まづさしあたりたる目の前のことにのみまぎれて
月日を送るので、何も成し遂げることなく、身は老いてしまう。
月日を送れば、ことごとなすことなくして、身は老いぬ。
結局、何かの達人にもならず、思ったような人生を送ることもできず、
つひに物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、
後悔しても取り返しがつかない年齢なので、
悔ゆれども取り返さるる齢ならねば、
坂を駆け下りる車輪のように衰えてゆく。
走りて坂を下る輪のごとくに衰へゆく。
だから、一生のうちで
されば、一生のうち、
「本当にやりたいことのうち、どれが一番か」
「むねとあらまほしからんことの中に、いづれかまさる」
をよく考え比べ、第一のことを決め、
と、よく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、
そのほかは捨てて、一つのことに励むべきだ。
そのほかは思ひ捨てて、一事を励むべし。
一日、短い時間の中でも、多くのことが起きる中で、
一日の中、一時の中にも、あまたの事の来たらんなかに、
少しでも有益なことを優先して行い、
すこしも益のまさらんことを営みみて、
そのほかは後回しにして、大事を急ぐべきだ。
そのほかをばうち捨てて、大事を急ぐべきなり。
「どれも捨てがたい」と心に抱えていては、
「何方をも捨てじ」と心にとり持ちては、
一つのことも成し遂げられない。
一事もなるべからず。

たとえば、囲碁を打つ人は、一手も無駄にせず、
たとへば、碁を打つ人、一手もいたづらにせず、
人に先んじて、小を捨て大につくようなものだ。
人に先立ちて、小を捨て大につくがごとし。
その際、三つの石を捨てて、
それにとりて、三つの石を捨てて、
十の石につくことは易しい。
十の石につくことはやすし。
十を捨て、十一につくことは難しい。
十を捨て、十一につくことはかたし。
一つでも勝る方へつくべきなのに、
一つなりとも、まさらん方へこそつくべきを、
十までなると、もったいなく思えて、
十までなりぬれば、惜しく思えて、
多く勝らない石には交換しにくい。
多くまさらぬ石にはかへにくし。
「これも捨てず、あれも取ろう」と思う心には、
「これをも捨てず、かれをも取らん」と思ふ心に、
あれも得られず、これも失う道がある。
かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。

京に住む人が、急いで東山に用事があり、すでに行き着いたとしても、
京に住む人、急ぎて東山に用ありて、すでに行き着きたりとも、
西山に行った方が有益だと考えられるならば、
西山に行きてその益まさるべきことを思ひ得たらば、
門の前から引き返して、西山へ行くべきである。ここまで来てしまったから、
門より帰りて、西山へ行くべきなり。ここまで来着きぬれば、
「このことは、まず言ってしまおう。急ぎではないから、
「このことをば、まづ言ひてん。日をささぬことなれば、
西山のことは帰ってから考えよう」と
西山のことは帰りてまたこそ思ひたたため」と
思うゆえに、一時の怠慢が、すなわち一生の怠慢となる。
思ふゆゑに、一事の懈怠、すなはち一生の懈怠となる。
これを恐れるべきだ。
これを恐るべし。
一つのことを必ず成し遂げようと思うなら、
一事を必ずなさんと思はば、
他のことが破綻するのを惜しんではいけない。
他の事の破るるをもいたむべからず。
人にばかにされても恥じることはない。
人の嘲りをも恥づべからず。
すべてを犠牲にしなければ、一つの大事は成し遂げられない。
万事にかへずしては、一の大事成るべからず。

大勢の人がいた中で、ある者が、
人のあまたありける中にて、ある者、
「マスホノススキ、マソホノススキなど言うことがある。
「ますほのすすき、まそほのすすきなど言ふことあり。
渡辺の聖は、このススキについて伝え知っている」と話した。
渡辺の聖、このことを伝へ知りたり」と語りけるを。
その場にいた登蓮法師が、それを聞いて、雨が降っているにも関わらず、
登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、
「雨具はありますか。貸してください。そのススキのことを教えてもらいに、
「蓑笠やある。貸し給へ。かの薄のこと習ひに、
渡辺の聖のところへ訪ねて行きます」と言ったので、
渡辺の聖のがり尋ねまからん」と言ひけるを、
「あまりに性急だ。雨がやんでからでも」と、人が言うと、
「あまりに物騒がし。雨やみてこそ」と、人の言ひければ、
「とんでもないことをおっしゃるものだ。
「無下のことをも仰せらるるものかな。
人の命は雨の晴れ間を待ってはくれません。
人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。
自分か死に、聖がいなくなってしまったら、尋ね聞くことができるか」と言って、
われも死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、
走って出て行き、教えてもらってきた。
走り出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと
そのように申し伝えられていることは、非常に尊く、すばらしく思われる。
申し伝へたるこそ、ゆゆしくありがたう思ゆれ。
「すぐに行えば、すなわち良い結果がある」と、
「敏きときは、則ち功あり」とぞ、
論語という書物にもあるそうだ。
論語といふ文にも侍るなる。
このススキを不思議に思ったように、
この薄をいぶかしく思ひけるやうに、
一大事の因縁(仏の出現の目的のような重大事)を思うべきであった。
一大事の因縁をぞ思ふべかりける。
📚古文全文
ある者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして、世渡るたつきともせよ」と言ひければ、教へのままに、説経師にならんために、まづ馬に乗り習ひけり。「輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは心憂かるべし」と思ひけり。
次に、「仏事ののち、酒など勧むることあらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべし」とて、早歌といふことを習ひけり。このわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく思えて嗜みけるほどに、説経習ふべきひまなくて、年寄にけり。
この法師のみにもあらず、世間の人、なべてこのことあり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大なる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらますことども心にはかけながら、世をのどかに思ひて、うち怠りつつ、まづさしあたりたる目の前のことにのみまぎれて月日を送れば、ことごとなすことなくして、身は老いぬ。つひに物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢ならねば、走りて坂を下る輪のごとくに衰へゆく。
されば、一生のうち、「むねとあらまほしからんことの中に、いづれかまさる」と、よく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、そのほかは思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中、一時の中にも、あまたの事の来たらんなかに、すこしも益のまさらんことを営みみて、そのほかをばうち捨てて、大事を急ぐべきなり。「何方をも捨てじ」と心にとり持ちては、一事もなるべからず。
たとへば、碁を打つ人、一手もいたづらにせず、人に先立ちて、小を捨て大につくがごとし。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石につくことはやすし。十を捨て、十一につくことはかたし。一つなりとも、まさらん方へこそつくべきを、十までなりぬれば、惜しく思えて、多くまさらぬ石にはかへにくし。「これをも捨てず、かれをも取らん」と思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。
京に住む人、急ぎて東山に用ありて、すでに行き着きたりとも、西山に行きてその益まさるべきことを思ひ得たらば、門より帰りて、西山へ行くべきなり。ここまで来着きぬれば、「このことをば、まづ言ひてん。日をささぬことなれば、西山のことは帰りてまたこそ思ひたたため」と思ふゆゑに、一事の懈怠、すなはち一生の懈怠となる。これを恐るべし。
一事を必ずなさんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず。万事にかへずしては、一の大事成るべからず。
人のあまたありける中にて、ある者、「ますほのすすき、まそほのすすきなど言ふことあり。渡辺の聖、このことを伝へ知りたり」と語りけるを。登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある。貸し給へ。かの薄のこと習ひに、渡辺の聖のがり尋ねまからん」と言ひけるを、「あまりに物騒がし。雨やみてこそ」と、人の言ひければ、「無下のことをも仰せらるるものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。われも死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゆしくありがたう思ゆれ。
「敏きときは、則ち功あり」とぞ、論語といふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。