徒然草177|鎌倉中書王にて、御鞠ありけるに、雨降りて後・・・
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
濡れた庭におがくずを敷く機転は賞賛されたが、故実(正式な作法)では乾いた砂が正式。その場しのぎの才覚と、正しい伝統知識の違いを説く。

🌙現代語対訳
鎌倉中書王にて、御鞠ありけるに、
雨が降った後で、まだ庭が乾いていなかったので、
雨降りて後、いまだ庭の乾かざりければ、
「どうしたものか」と話し合っていました。
「いかがせん」と沙汰ありけるに、
すると、佐々木隠岐入道が、おがくずを車に積んで、
佐々木隠岐入道、鋸のくづを車に積みて、
たくさん持ってきて献上しました。
多く奉りたりければ、
庭一面に敷き詰めたところ、ぬかるみで困ることはなくなりました。
一庭に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。
「取り溜めて用意しておいたとは素晴らしい」と、皆で感心しました。
「取り溜めけん用意ありがたし」と、人、感じあへりけり。
この時の話をある人が、皆の前で語ったところ、
このことをある者の語り出でたりしに、
吉田中納言という方が、「乾いた砂の用意はなかったのですか?」と、
吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」と、
静かにおっしゃいましたので、恥ずかしい思いをしました。
のたまひたりしかば、恥づかしかりき。
「素晴らしい」と感心したおがくずは、
「いみじ」と思ひける鋸のくづ、
品位に欠ける風変わりな対応だったのです。
賤しく異様のことなり。
庭での儀式を取り仕切る担当者は、乾いた砂を用意しておくのが、
庭の儀を奉行する人、乾き砂子をまうくるは、
正式なしきたりということです。
故実なりとぞ。
📚古文全文
鎌倉中書王にて、御鞠ありけるに、雨降りて後、いまだ庭の乾かざりければ、「いかがせん」と沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸のくづを車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。「取り溜めけん用意ありがたし」と、人、感じあへりけり。
このことをある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」と、のたまひたりしかば、恥づかしかりき。
「いみじ」と思ひける鋸のくづ、賤しく異様のことなり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子をまうくるは、故実なりとぞ。