徒然草171|貝を覆ふ人の、我が前なるをばおきて、余所を見渡して・・・
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
貝合わせや碁を例に、何事も外に求めるべきではないと説く。まず自分自身を正しくすれば、その徳による影響は自ずと遠くまで及ぶという、修身と為政の要諦を示す。

🌙現代語対訳
貝合わせの遊びで、
貝を覆ふ人の、
自分の目の前にある貝はそっちのけにして、
我が前なるをばおきて、
他の場所ばかりを見渡し、
余所を見渡して、
人の袖のかげや、膝の下あたりまで目を配っている間に、
人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、
目の前の貝を他の人に取られてしまいます。
前なるをば人に覆はれぬ。
本当に上手な人は、
よく覆ふ人は、
他の場所までむやみに取ろうとはせず、
余所までわりなく取るとは見えずして、
自分の近くの貝だけを取っているように見えますが、
近きばかり覆ふやうなれど、
多くの貝を獲得するのです。
多く覆ふなり。
碁盤の隅に置いた石を弾く場合、
碁盤の隅に石を立てて弾くに、
向かいの石ばかりを睨んで弾いても当たりません。
向ひなる石をまぼりて弾くは当たらず。
自分の手元をよく見て、
わが手元をよく見て、
ここにある目印をまっすぐ狙って弾けば、
ここなる聖目をすぐに弾けば、
立てた石は、必ず的に当たります。
立てたる石、かならず当たる。
すべてのことは、自分の外に原因を求めてはいけません。
よろづのこと、外に向きて求むべからず。
ただ、自分のまわりを正しくすべきなのです。
ただ、ここもとを正しくすべし。
中国の清献公の言葉に
清献公が言葉に、
「良い行いをして、将来のことを問題にしてはならない」とあります。
「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。
世の中を治める道も、これと同じでしょう。
世を保たん道も、かくや侍らん。
内政を慎重に行わず、軽々しく勝手に振る舞って、国内が乱れれば、
内を慎まず、軽くほしきままにして、みだりなれば、
遠くの国は必ず背きます。その時に、
遠国必ずそむく時、
初めて対策を検討することになります。
はじめて謀を求む。
「風に当たり、湿気の多い所に寝て、病気になり、
「風に当たり、湿りに臥して、病を
神仏に祈るのは、愚かな人だ」と、医学書に書かれているのと同じです。
神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と、医書に言へるがごとし。
身近な人の苦しみを取り除き、恵みを施して、正しい道を進めば、
目の前なる人の愁へをやめ、恵みを施して、道を正しくせば、
その影響が遠くまで広がっていくことを分かっていないのです。
その化遠く流れんことを知らざるなり。
中国の禹王が自ら赴いて、三苗という国を討伐しても、
禹の行きて、三苗を征せしも、
軍隊を撤退して、徳のある政治を行うことに及びませんでした。
師を班して徳を敷くにはしかざりき。

📚古文全文
貝を覆ふ人の、我が前なるをばおきて、余所を見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤の隅に石を立てて弾くに、向ひなる石をまぼりて弾くは当たらず。わが手元をよく見て、ここなる聖目をすぐに弾けば、立てたる石、かならず当たる。
よろづのこと、外に向きて求むべからず。ただ、ここもとを正しくすべし。清献公が言葉に、「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや侍らん。内を慎まず、軽くほしきままにして、みだりなれば、遠国必ずそむく時、はじめて謀を求む。「風に当たり、湿りに臥して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と、医書に言へるがごとし。
目の前なる人の愁へをやめ、恵みを施して、道を正しくせば、その化遠く流れんことを知らざるなり。禹の行きて、三苗を征せしも、師を班して徳を敷くにはしかざりき。