真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
人の心は触れるものによって変化するので、善いものに触れるべきだ。行動と心は一体であり、形から入ることも大切である。

『徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース
🌙現代語対訳
筆を手に取ると何か書きたくなり、楽器を手に取ると音を鳴らしてみようと思うものです。
筆を取ればもの書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。
盃を手にすれば酒を思い出し、サイコロを手にすれば博打を打ちたくなる。
盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤打たんことを思ふ。
人の心には、必ず何かに触れることで生まれてきます。
心は必ずことにふれて来る。
少しであっても、よくない遊びをすべきではありません。
かりにも不善の戯れをなすべからず。
ふとしたことで仏の教えの一言を目にすると、自然とその前後の文も見てしまいます。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。
そして突然、長年の過ちを改めることもあります。
卒爾にして多年の非を改むることもあり。
たまたまその文書を開かなかったとしたら、このことを分ったでしょうか。
かりに、今この文を広げざらましかば、このことを知らんや。
これこそが、触れることの利益なのです。
これすなはち、触るる所の益なり。
信仰心が、湧き起こらない時でも、仏様の前で、数珠や経典を手に取れば、
心、さらに起こらずとも、仏前にありて、数珠を取り経を取らば、
なまけている間にも、善い行いを自然と行うことになります。
怠るうちにも、善業おのづから修せられ、
心が散漫であっても、坐禅を組んでみれば、気づかないうちに精神が統一されるでしょう。
散乱の心ながらも、縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。
形と心は、もともと二つのものではありません。
事理、もとより二つならず。
外側の形が道に背いていなければ、内面の理解も必ず深まっていきます。
外相もしそむかざれば、内証必ず熟す。
むやみに疑ったりすべきではありません。
しひて不信を言ふべからず。
これは敬い、尊ぶべきです。
仰ぎてこれを尊むべし。

『徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース
📚古文全文
筆を取ればもの書かれ、楽器を取れば音を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、賽を取れば攤打たんことを思ふ。心は必ずことにふれて来る。かりにも不善の戯れをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むることもあり。かりに、今この文を広げざらましかば、このことを知らんや。
これすなはち、触るる所の益なり。心、さらに起こらずとも、仏前にありて、数珠を取り経を取らば、怠るうちにも、善業おのづから修せられ、散乱の心ながらも、縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。
事理、もとより二つならず。外相もしそむかざれば、内証必ず熟す。しひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。