徒然草142|心なしと見ゆる者も、よき一言言ふものなり・・・
真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
子供を持って人の情を知るという武士の言葉から、貧困が人を罪に導くのであり、民の生活を安定させるのが政治の要諦だと説く。

🌙現代語対訳
思いやりがなさそうに見える人でも、良いことを言う場合があります。
心なしと見ゆる者も、よき一言言ふものなり。
あるとき恐ろしそうな東国の武士が、そばにいる人に
ある荒夷の恐ろしげなるが、かたへにあひて、
「お子さんはいらっしゃいますか」と尋ねました。
「御子はおはすや」と問ひしに、
その人が「一人もいません」と答えると、
「一人も持ち侍らず」と答へしかば、
「それならば、しみじみとした深い感情はお分かりになりますまい。
「さては、もののあはれは知り給はじ。
思いやりを持たないお心なのだろうと思うと、とても恐ろしいことです。
情けなき御心にぞものし給ふらんと、いと恐ろし。
子供を持ってこそ、あらゆる物事のしみじみとした哀れが分かるのです」
子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」
といいました。
と言ひたりし、
全くもっともなことです。
さもありぬべきことなり。
愛情というものがなければ、このような人の心にどうして慈悲が芽生えるでしょうか。
恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなんや。
孝行の心がない人でも、子供を持って初めて、親の気持ちが分かるものなのです。
孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。
世を捨てた出家者で、何も持たず無一物である人が、
世を捨てたる人の、よろづにするすみなるが、
家族などしがらみの多い人が、あちこちにへつらい、
なべてほだし多かる人の、よろづにへつらひ、
欲深くしているのを見て、一概に見下すのは間違いです。
望み深きを見て、無下に思ひ下すは僻事なり。
その人の立場になって考えてみれば、
その人の志になりて思へば、
愛する親のため、妻子のためには、
まことにかなしからん親のため、妻子のためには、
恥を忘れ、盗みさえもしてしまうのでしょう。
恥をも忘れ、盗みもしつべきことなり。
だから、盗みを罰したり、過ちだけを罪に問うたりするよりも、
されば、盗人を戒め、僻事をのみ罪せんよりは、
世の中の人が、飢えたり、寒さに凍えないように、政治を行ってほしいものです。
世の人の、飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。
人は、安定した財産がなければ、安定した道徳心は生まれないと言います。
人、恒の産なきときは、恒の心なし。
人は困り果てて、盗みを働きます。
人きはまりて盗みす。
世の中がうまく治まらず、飢えと寒さの苦しみがある限り、
世治まらずして、凍餒の苦しみあらば、
罪を犯す者がなくなることはないでしょう。
科の者絶ゆべからず。
人を苦しめて、法を犯させて、それを罰することは、
人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはんこと、
筋の通らないことです。
不便のわざなり。
では、どうすれば人々を豊かにできるかと言えば、
さて、いかがして人を恵むべきとならば、
上に立つ者が贅沢な出費をやめ、民衆をいたわり、農業を奨励すれば、
上のおごり費す所ところをやめ、民を撫で、農を勧めば、
民の暮らしに利益が行き渡ることは、疑いようもありません。
下に利あらんこと、疑ひあるべからず。
衣食に不自由しない身の上でありながら、悪いことをする人こそ、
衣食尋常なる上に、僻事せん人をぞ、
真の盗人と言うべきです。
まことの盗人とは言ふべき。
📚古文全文
心なしと見ゆる者も、よき一言言ふものなり。
ある荒夷の恐ろしげなるが、かたへにあひて、「御子はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情けなき御心にぞものし給ふらんと、いと恐ろし。子ゆゑにこそ、よろづのあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべきことなり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。
世を捨てたる人の、よろづにするすみなるが、なべてほだし多かる人の、よろづにへつらひ、望み深きを見て、無下に思ひ下すは僻事なり。その人の志になりて思へば、まことにかなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべきことなり。
されば、盗人を戒め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の、飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒の産なきときは、恒の心なし。人きはまりて盗みす。世治まらずして、凍餒の苦しみあらば、科の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはんこと、不便のわざなり。
さて、いかがして人を恵むべきとならば、上のおごり費す所をやめ、民を撫で、農を勧めば、下に利あらんこと、疑ひあるべからず。衣食尋常なる上に、僻事せん人をぞ、まことの盗人とは言ふべき。