古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草141|悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかや、双なき武者なり・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

「都人は不実」との批判に尭蓮上人が反論し、情の深さゆえだと説く。見かけで人を判断していた非を筆者が悟る話。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

悲田院(※救貧施設)の尭蓮上人は、出家前の名前は三浦何某とかで、

悲田院ひでんゐん尭蓮上人げうれんしやうにんは、俗姓ぞくしやう三浦みうらなにがしとかや、

並ぶ者のない武者でした。

さうなき武者むしやなり。

上人の故郷から人がきて、世間話をする中で、

故郷ふるさとひとたりて、物語ものがたりすとて、

「関東人は、言ったことは頼りになります。

吾妻人あづまびとこそ、ひつることはたのまるれ。

都の人は、口先だけはいいが、誠実さがない」と言ったのを、

みやこひとは、ことうけのみよくて、まことなし」とひしを、

上人は、「そうお思いでしょうが、

ひじり、「それはさこそおぼすらめども、

私は都に長く住んで、よく見ております。

おのれはみやこひさしくみて、なれてはべるに、

都の人の心が劣っているとは思いません。

ひとこころおとれりとはおもはべらず。

総じて、心が優しく、情け深いので、

なべて、こころやはらかに、なさけあるゆゑに、

人から頼まれると、きっぱりと断ることができず、

ひとふほどののこと、けやけくいなびがたくて、

万事、言い切ることができず。気が弱くて引き受けてしまうのです。

よろづえはなたず。心弱こころよわくことうけしつ。

『嘘をつこう』と思うわけではないが、それだけの力がなくて約束を果たせない人が多いので、

いつはりせん』とは思はねど、ともしくかなはぬひとのみあれば、

自然と約束通りにいかないことが多くなるのでしょう。

おのづから本意ほいとほらぬことおほかるべし。

関東の人間は、私の同郷ですが、実のところ、心の機微というものがなく、

吾妻人あづまびとは、わがかたなれど、げには、こころいろなく、

情に乏しく、ただ実直なだけなので、

なさけおくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、

最初から『できない』と言って終わりです。

はじめより『いな』とひてやみぬ。

(関東では)暮らし向きが豊かだから、人から頼りにされるのです」と、

にぎはひゆたかなれば、ひとにはたのまるるぞかし」と、

筋道を立てて説明なさいました。

ことはられはべりしこそ。

この上人は、声がしゃがれていて、荒々しかったので、

このひじりこゑうちゆがみ、荒々あらあらしくて、

「仏教の細かな道理など、あまり理解していないのではないか」

聖教しやうげうこまやかなることわり、いとわきまへずもや」

と思っていましたが、この一言を聞いてから、立派な方だと感じるようになり、

おもひしに、この一言ひとことのちこころにくくなりて、

多くの僧の中から選ばれて、寺の住職を務めておられるのも、

おほかるなかに、てらをも住持じゅうじせらるるは、

「このように柔らかな面もあって、その徳があるからだろう」と思えました。

「かくやはらぎたるところありて、そのえきもあるにこそ」とおぼはべりし。

📚古文全文

悲田院ひでんゐん尭蓮上人げうれんしやうにんは、俗姓ぞくしやう三浦みうらなにがしとかや、さうなき武者むしやなり。
故郷ふるさとひとたりて、物語ものがたりすとて、「吾妻人あづまびとこそ、ひつることはたのまるれ。みやこひとは、ことうけのみよくて、まことなし」とひしを、ひじり、「それはさこそおぼすらめども、おのれはみやこひさしくみて、なれてはべるに、ひとこころおとれりとはおもはべらず。なべて、こころやはらかに、なさけあるゆゑに、ひとふほどののこと、けやけくいなびがたくて、よろづえはなたず。心弱こころよわくことうけしつ。『いつはりせん』とは思はねど、ともしくかなはぬひとのみあれば、おのづから本意ほいとほらぬことおほかるべし。吾妻人あづまびとは、わがかたなれど、げには、こころいろなく、なさけおくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、はじめより『いな』とひてやみぬ。にぎはひゆたかなれば、ひとにはたのまるるぞかし」と、ことはられはべりしこそ。
このひじりこゑうちゆがみ、荒々あらあらしくて、「聖教しやうげうこまやかなることわり、いとわきまへずもや」とおもひしに、この一言ひとことのちこころにくくなりて、おほかるなかに、てらをも住持じゅうじせらるるは、「かくやはらぎたるところありて、そのえきもあるにこそ」とおぼはべりし。