古文で読みたい

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徒然草137|花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

美は満ちる前や欠けた後にこそある。祭の後の寂しさから世の無常を知り、常に死が身近にあることを心得るべきだと説く。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

桜の花は満開を、月は満月だけを、見るものでしょうか。

はなさかりに、つきはくまなきをのみ、るものかは。

雨に向かって月を恋しく思い、家にこもって春が過ぎるのを知らずにいるのも、

あめむかひてつきひ、たれこめてはる行方ゆくえらぬも、

またしみじみと趣深いものです。

なほあはれになさけぶかし。

これから咲きそうな枝先や、花が散りしおれた庭などにこそ、

きぬべきほどのこずえりしをれたるにわなどこそ、

見るべき所は多いです。

見所みどころおほけれ。

和歌の前書きに、「花見に行ったが、

うた詞書ことばがきにも、「花見はなみにまかれけるに、

すでに散り去ってしまった」とか、

はやくぎにければ」とも、

「差し支えがあって、行けなかった」などと書いてあるのは、

「さることありて、まからで」などもけるは、

「花を見て」と書いてあるものに比べて、劣っているでしょうか。

はなて」とへるに、おとれることかは。

花が散り、月が沈む様子に心惹かれるのは当然のことなのに、

はなり、つきかたぶくをしたふならひはさることなれど、

特に無粋な人に限って、

ことにかたくななるひとぞ、

「この枝もあの枝も散ってしまった。もう見る価値はない」

「このえだ、かのえだりにけり。いま見所みどころなし」

などと言うようです。

などはふめる。

すべてのことは、その始まりと終わりこそが趣深いのです。

よろづのことも、始終しじゅうこそをかしけれ。

男女の恋愛も、ただひたすら逢瀬を重ねることだけを言うのでしょうか。

男女なんにょなさけも、ひとへにるをばいふものかは。

逢えずに終わってしまった辛さを思い、叶わなかった愛の誓いを嘆き、

はでやみにしさをおもひ、あだなるちぎりをかこち、

長い夜を一人で明かし、遠い空の彼方を思いやり、

なが一人ひとりかし、とお雲井くもいおもひやり、

草が茂って荒れた家で昔を懐かしむことこそ、恋の情趣を解すると言えるでしょう。

浅茅あさじ宿やどむかしをしのぶこそ、色好いろこのむとははめ。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

陰りのない満月を、千里先まで見渡して眺めるよりも、

望月もちづきのくまなきを、千里せんりほかまでながめたるよりも、

明け方近くなって、ようやく出てきた月が、

あかつきちかくなりてでたるが、

とても奥ゆかしく青みがかって見え、

いと心深こころぶかあおみたるやうにて、

深い山の杉の枝先にかかっている様子や、木の間から漏れる月の光、

ふかやますぎこずええたる、かげ

さっと雨を降らせそうな雲に隠れたりする様は、このうえなく美しいものです。

うちしぐれたる村雲むらくもがくれのほど、またなくあはれなり。

椎や白樫などの、濡れたような葉の上に月の光がきらめいているのを見ると、

椎柴しいしば白樫しらかしなどの、れたるやうなるうへにきらめきたるこそ、

痛切に感じ、「これがわかる友がいたらなあ」と、都が恋しく思われるのです。

にしみて、「こころあらんとももがな」と、みやここいしうおぼゆれ。

そもそも、月や花は、ただ目だけで見るものなのでしょうか。

すべて、つきはなをば、さのみにてるものかは。

春には家から出かけなくても、月が出ている夜には寝室の中にいながら思うことこそ、

はるいえらでも、つきねやうちながらもおもへるこそ、

心豊かで趣深いことなのです。

いとたのもしうをかしけれ。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

洗練された人は、なにかに夢中になっている様子を見せず、

よきひとは、ひとへにけるさまにもえず、

楽しむ様子もさりげないものです。

きょうずるさまもなほざりなり。

田舎者に限って、大げさになんでも面白がります。

片田舎かたいなかひとこそ、いろこくよろづはもてきょうずれ。

花の下では、まとわりつくようにして、まわりを見もせずに花を見つめ、

はなのもとには、ねぢり、あからめもせずまもりて、

酒を飲み、連歌に興じ、ついには大きな枝を、平気で折り取ってしまいます。

さけみ、連歌れんがして、てはおおきなるえだこころなくりぬ。

泉には手や足をじゃぶじゃぶ浸し、雪が降れば庭に下りて足跡をつけたり、

いずみには手足てあしさしひたして、ゆきにはちてあとけなど、

何事も、距離を置いて眺めるということがありません。

よろづのもの、よそながらることなし。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

そのような人が祭を見物する様子は、実に奇妙なものでした。

さやうのひとまつりしさま、いとめずらかなりき。

「見どころは、まだ先だ。それまでは桟敷席はいらない」と言って、

ごと、いとおそし。そのほどは桟敷さじき不用ふようなり」とて、

奥まった家で、酒を飲み、食事をし、囲碁や双六などをして遊んでいます。

おくなるにて、さけみ、ものひ、囲碁いご双六すごろくなどあそびて、

桟敷席に連絡係を置いておいて、「来ます」という声がかかると、

桟敷さじきにはひときたれば、「わたそうろふ」とときに、

各々、あわてふためいて我先にと駆け上り、

おのおのきもつぶるるやうにあらそはしあがりて、

落ちそうになるまで簾を張り出して、押し合いながら、

ちぬべきまですだれでて、ひつつ、

「ひとつも見逃すまい」と見守り、

一事ひとこと見漏みもらさじ」とまぼりて、

「ああだ、こうだ」とひとつひとつに解説を加えます。

「とあり、かかり」とものごとにひて、

通り過ぎてしまうと、「また次が来るまで」と言って下に降ります。

わたぎぬれば、「またわたらんまで」とひてりぬ。

ただ、物を見ようとすることだけなのでしょう。

ただ、ものをのみんとするなるべし。

都の恐れ多い身分の方々は、居眠りしていて大して見ていません。

みやこひとのゆゆしげなるは、ねぶりていともず。

若い末端の地位にある人達は、宮仕えにふさわしく振る舞い、

わか末々すえずえなるは、宮仕みやづかへに

貴人の後ろに控えているので、みっともなく前に出ていって、

ひとうしろにさぶらふは、さましくもおよびかからず、

無理に見ようとする人もいません。

わりなくんとするひともなし。

さりげなく葵の葉が飾られていて、その様子が何とも言えず優雅であるところに、

なにとなくあおいかけわたしてなまめかしきに、

夜が明けきらないうちに、そっとやってくる車に心惹かれるので、

けはなれぬほど、しのびてするくるまどものゆかしきを、

その人だろうか、あの人だろうか、などと想像をめぐらすと、

それか、かれか、などおもすれば、

牛飼いや下男に見覚えがあることもあります。

牛飼うしかい下部しもべなどの見知みしれるもあり。

趣のあるもの、華やかなもの、様々な車や人々が行き交います。

をかしくも、きらきらしくも、さまざまに

日が暮れる頃には、立ち並んでいた車も、大勢いた人々も、

るるほどには、ならべつるくるまども、ところなくつるひとも、

どこへ行ってしまったのか、いつの間にかまばらになり、

いづかたへかきつらん、ほどなくまれになりて、

車の騒がしさもなくなります。

くるまどものらうがはしさもすみぬれば、

簾や畳も取り払われ、目の前の景色が急に寂しくなっていく様子にこそ、

すだれたたみはらひ、まへさびしげになりゆくこそ、

この世のありさまが思い知されて、しみじみとした気持ちです。

ためしおもられてあはれなれ。

大通りを見届けることこそが、祭を見たということなのです。

大路おおじたるこそ、まつりたるにてはあれ。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

あの観覧席の前を、あれほど行き交う人の中に、

かの桟敷さじきまえを、ここらひとの、

知り合いが大勢いることから分かります。

見知みしれるがあまたあるにてりぬ。

世の中の人口も、実はそれほど多いわけではないのです。

人数ひとかずも、さのみはおおからぬにこそ。

この人達が、皆いなくなった後に、自分の死ぬ番が来ると決まっているとしても、

このひと、みなせなんのち、わがぬべきにさだまりたりとも、

それほど長く待つことはないでしょう。

ほどなくちつけぬべし。

大きな器に水を入れ、小さな穴を開けたとします。

おおきなるうつわものみずれて、ほそあなけたらんに、

したたり落ちる水はわずかでも、

しただることすくなしといふとも、

休みなく漏れていけば、やがて尽きてしまいます。

おこたるなくりゆかば、やがてきぬべし。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

都の中に大勢の人が、死なない日はないでしょう。

みやこなかおおひとなざるはあるべからず。

一日に一人や二人どころではないはずです。

一日ひとひ一人ひとり二人ふたりのみならんや。

鳥部野や舟岡、その他の野山にも、

鳥部野とりべの舟岡ふなおか、さらぬ野山のやまにも、

葬送が多い日はあっても、まったくない日はありません。

おく数多かずおおかるはあれど、おくらぬはなし。

だから、棺を売る者は、作り置きしておく暇もないのです。

されば、ひつぎをひさぐものつくりてうちくほどなし。

若いから、体が強いからといって関係なく、死期は思いがけないものです。

わかきにもよらず、つよきにもよらず、おもひがけぬは死期しごなり。

今日まで生き延びてきたのは、得難い、不思議なことです。

今日けふまでのがにけるは、ありがたき不思議ふしぎなり。

📚古文全文

はなさかりに、つきはくまなきをのみ、るものかは。あめむかひてつきひ、たれこめてはる行方ゆくえらぬも、なほあはれになさけぶかし。きぬべきほどのこずえりしをれたるにわなどこそ、見所みどころおほけれ。うた詞書ことばがきにも、「 花見はなみにまかれけるに、はやくぎにければ」とも、「さることありて、まからで」などもけるは、「はなて」とへるに、おとれることかは。はなり、つきかたぶくをしたふならひはさることなれど、ことにかたくななるひとぞ、「このえだ、かのえだりにけり。いま見所みどころなし」などはふめる。
よろづのことも、始終しじゅうこそをかしけれ。男女なんにょなさけも、ひとへにるをばいふものかは。はでやみにしさをおもひ、あだなるちぎりをかこち、なが一人ひとりかし、とお雲井くもいおもひやり、浅茅あさじ宿やどむかしをしのぶこそ、色好いろこのむとははめ。
望月もちづきのくまなきを、千里せんりほかまでながめたるよりも、あかつきちかくなりてでたるが、いと心深こころぶかあおみたるやうにて、ふかやますぎこずええたる、かげ、うちしぐれたる村雲むらくもがくれのほど、またなくあはれなり。椎柴しいしば白樫しらかしなどの、れたるやうなるうへにきらめきたるこそ、にしみて、「こころあらんとももがな」と、みやここいしうおぼゆれ。
すべて、つきはなをば、さのみにてるものかは。はるいえらでも、つきねやうちながらもおもへるこそ、いとたのもしうをかしけれ。
よきひとは、ひとへにけるさまにもえず、きょうずるさまもなほざりなり。片田舎かたいなかひとこそ、いろこくよろづはもてきょうずれ。はなのもとには、ねぢり、あからめもせずまもりて、さけみ、連歌れんがして、てはおおきなるえだこころなくりぬ。いずみには手足てあしさしひたして、ゆきにはちてあとけなど、よろづのもの、よそながらることなし。
さやうのひとまつりしさま、いとめずらかなりき。「ごと、いとおそし。そのほどは桟敷さじき不用ふようなり」とて、おくなるにて、さけみ、ものひ、囲碁いご双六すごろくなどあそびて、桟敷さじきにはひときたれば、「わたそうろふ」とときに、おのおのきもつぶるるやうにあらそはしあがりて、ちぬべきまですだれでて、ひつつ、「一事ひとこと見漏みもらさじ」とまぼりて、「とあり、かかり」とものごとにひて、わたぎぬれば、「またわたらんまで」とひてりぬ。ただ、ものをのみんとするなるべし。
みやこひとのゆゆしげなるは、ねぶりていともず。わか末々すえずえなるは、宮仕みやづかへにひとうしろにさぶらふは、さましくもおよびかからず、わりなくんとするひともなし。なにとなくあおいかけわたしてなまめかしきに、けはなれぬほど、しのびてするくるまどものゆかしきを、それか、かれか、などおもすれば、牛飼うしかい下部しもべなどの見知みしれるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまにふ。るもつれづれならず。るるほどには、ならべつるくるまども、ところなくつるひとも、いづかたへかきつらん、ほどなくまれになりて、くるまどものらうがはしさもすみぬれば、すだれたたみはらひ、まへさびしげになりゆくこそ、ためしおもられてあはれなれ。大路おおじたるこそ、まつりたるにてはあれ。
かの桟敷さじきまえを、ここらひとの、見知みしれるがあまたあるにてりぬ。人数ひとかずも、さのみはおおからぬにこそ。このひと、みなせなんのち、わがぬべきにさだまりたりとも、ほどなくちつけぬべし。おおきなるうつわものみずれて、ほそあなけたらんに、しただることすくなしといふとも、おこたるなくりゆかば、やがてきぬべし。
みやこなかおおひとなざるはあるべからず。一日ひとひ一人ひとり二人ふたりのみならんや。鳥部野とりべの舟岡ふなおか、さらぬ野山のやまにも、おく数多かずおおかるはあれど、おくらぬはなし。されば、ひつぎをひさぐものつくりてうちくほどなし。わかきにもよらず、つよきにもよらず、おもひがけぬは死期しごなり。今日けふまでのがにけるは、ありがたき不思議ふしぎなり。