真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
人と争わず、相手を立てることの徳を説く。真に勝ちたいなら学問に励むべきだが、真の学問は争いの無意味さそのものを教える。

🌙現代語対訳
何事においても争わず、自分の意見を曲げても人に従い、
物に争はず、おのれを枉げて人に従ひ、
自分を後回しにして、人を先に立てるに越したことはありません。
わが身を後にして、人を先にするにはしかず。
様々な遊びでも、勝ち負けにこだわる人は、
よろづの遊びにも、勝ち負けを好む人は、
勝つことで楽しもうとします。
勝ちて興あらんためなり。
自分の技術が優れていることを喜ぶのです。
おのれが芸の勝りたることを喜ぶ。
であれば、負けた方はつまらないだろう、ということも分かるはずです。
されば、負けて興なく思ゆべきこと、また知られたり。
「自分が負けて、相手を喜ばせてやろう」と思うなら、
「われ負けて、人を喜ばしめん」と思はば、
今度は自分が全く面白くありません。
さらに遊びの興なかるべし。
相手を不本意な気持ちにさせてまで、自分の心を満足させるようなことは、
人に本意なく思はせて、わが心を慰まんこと、
人としての徳に反します。
徳にそむけり。
親しい仲間内で冗談を言い合う時でさえ、相手をだまして、
むつましき中に戯るるも、人を謀り欺きて、
自分の知恵が優れているといって面白がる人がいますが、
おのれが智の勝りたることを興とす。
これもまた礼儀にかなったことではありません。
これまた礼にあらず。
だから、最初は楽しい宴会から始まったのに、
されば、はじめ興宴よりおこりて、
長く続く恨みを買ってしまうような例が多いのです。
長き恨みを結ぶたぐひ多し。
これらはすべて、争いを好むことから生じる過ちです。
これみな、争ひを好む失なり。
人に勝ちたいと思うのであれば、
人に勝らんことを思はば、
ひたすら学問に励んで、その知恵で人に勝ろうと思うべきです。
ただ学問して、その智を人に勝らんとは思ふべし。
道を学ぶというなら、
道を学ぶとならば、
優れていると自慢せず、仲間と争ってはならないということを知るはずだからです。
善にほこらず、ともがらに争ふべからずといふことを知るべきゆゑなり。
高い地位を辞退し、利益を捨て去ることができるのも、ただ学問の力によるものなのです。
大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、ただ学問の力なり。
📚古文全文
物に争はず、おのれを枉げて人に従ひ、わが身を後にして、人を先にするにはしかず。
よろづの遊びにも、勝ち負けを好む人は、勝ちて興あらんためなり。おのれが芸の勝りたることを喜ぶ。されば、負けて興なく思ゆべきこと、また知られたり。「われ負けて、人を喜ばしめん」と思はば、さらに遊びの興なかるべし。人に本意なく思はせて、わが心を慰まんこと、徳にそむけり。むつましき中に戯るるも、人を謀り欺きて、おのれが智の勝りたることを興とす。これまた礼にあらず。されば、はじめ興宴よりおこりて、長き恨みを結ぶたぐひ多し。これみな、争ひを好む失なり。
人に勝らんことを思はば、ただ学問して、その智を人に勝らんとは思ふべし。道を学ぶとならば、善にほこらず、ともがらに争ふべからずといふことを知るべきゆゑなり。
大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、ただ学問の力なり。