真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
実用的な馬や牛は仕方ないが、趣味で鳥獣を籠に閉じ込め苦しめるのは、古代中国の暴君がすることだと説いている。

『徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース
🌙現代語対訳
飼育すべきものは、馬や牛です。
養ひ飼ふものは、馬・牛。
綱でつないで苦しめるのは心が痛みますが、
つなぎ苦しむるこそ痛ましけれど、
不可欠なものなので、仕方ありません。
なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。
犬は家を守り泥棒を防ぐ働きが、人間以上ですから、
犬は守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、
ぜひとも飼うべきでしょう。
必ずあるべし。
しかし、どこの家にもいるものなので、
されど、家ごとにあるものなれば、
わざわざ探し求めて飼わなくてもいいでしょう。
ことさらに求め飼はずともありなん。
それ以外の鳥や動物は、役に立たないものです。
そのほかの鳥獣、すべて用なきものなり。
走る動物は檻に閉じ込められて、鎖につながれ、
走る獣は檻に籠め、鎖をさされ、
飛ぶ鳥は羽を切られて、籠に入れられ、
飛ぶ鳥は翅を切り、籠に入れられて、
雲を恋しがり、野山を懐かしむ悲しみは、止まる時がありません。
雲を恋ひ、野山を思ふ愁へ、やむときなし。
その気持ちを、自分の身に置き換えて耐えられないと感じるならば、
その思ひ、わが身にあたりて忍びがたくは、
思いやりの心がある人なら、どうしてこれを楽しむことができるでしょうか。
心あらん人、これを楽しまんや。
生き物を苦しめて、目を楽しませるのは、
生を苦しめて、目を喜ばしむるは、
中国の暴君、桀王(けつおう)や紂王(ちゅうおう)と同じ心です。
桀・紂が心なり。
文人の王子猷(おうしゆう)が鳥を愛でたのは、林で遊ぶのを見て、
王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、
散歩の友としていました。
逍遥の友としき。
捕まえて苦しめたわけではありません。
捕へ苦しめたるにあらず。
「そもそも、珍しい鳥や奇妙な動物は、国内で飼うべきではない」と、
「およそ、珍しき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、
昔の書物にも書かれているそうです。
文にも侍るなれ。

『徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース
📚古文全文
養ひ飼ふものは、馬・牛。つなぎ苦しむるこそ痛ましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家ごとにあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなん。
そのほかの鳥獣、すべて用なきものなり。走る獣は檻に籠め、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁へ、やむときなし。その思ひ、わが身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、これを楽しまんや。
生を苦しめて、目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
「およそ、珍しき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。