真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
一瞬の時間を惜しまず、無駄に過ごす愚かさを説く。死を意識することで「今」を大切にし、心を整え仏道修行に励むべきだという、時間に対する心構えを説いている。

🌙現代語対訳
わずかな時間を大事にする人がいない。これは達観しているからだろうか、愚かなのだろうか。
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。
愚かで怠惰な人のために答えるならば、一銭は軽いものだが、
愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、
これを積み重ねれば、貧しい人が富める人になることができる。
これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。
だからこそ、商人が一銭を惜しむ気持ちは、切実だ。
されば、商人の一銭を惜しむ心、切なり。
一瞬を気づくことはできないが、この一瞬が止まることなく過ぎていくことで、
刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、
人生の終わりに、あっという間にたどり着く。
命を終ふる期、たちまちに至る。
だから、仏道を修行する人は、遠い未来の年月を気に病むのではなく、
されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。
ただ「今、この一瞬」が空しく過ぎていくことを惜しむべきなのである。
ただ今の一念、むなしく過ぐることを惜しむべし。
もし、誰かがやってきて「あなたの命は、明日必ず尽きます」
もし、人来たりて、「わが命、明日は必ず失はるべし」
と告げられたとしよう。その人は、今日一日が暮れるまでの間、
と告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、
いったい何を頼りとし、何をして過ごすだろうか。
何ごとをか頼み、何ごとをか営ままん。
私たちが生きているこの「今日」という日は、
われらが生ける今日の日、
その一日と何か違いがあるだろうか。
何ぞその時節に異らん。
一日のうちで、食事、排泄、睡眠、会話、移動といった、
一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、
やむを得ないことに、多くの時間を費やしている。
やむことを得ずして、多くの時を失ふ。
その残された、わずかな時間の中でさえ、
その余りの暇、いくばくならぬうちに、
無益なことをし、無益なことを話し、
無益のことをなし、無益のことを言ひ、
無益なことを考えて、時間を過ごすだけではなく、
無益のことを思惟して、時を移すのみならず、
無益に一日を過ごし、一月を経過し、一生を終えてしまう。
日を消し、月をわたりて、一生を送る。
この上なく愚かだ。
もつとも愚かなり。
中国の詩人である謝霊運は、法戯経の翻訳を行う才人であったが、
謝霊運は法華の筆受なりしかども、
その心は常に立身出世に向いていたため、
心常に風雲の思ひを観ぜしかば、
高僧の慧遠は、彼が自身の修行の会に加わることを許さなかったという。
恵遠、白蓮の交はりを許さざりき。
少しの間でも寸暇を惜しむことが無くなれば、死んでいるのと同じである。
しばらくもこれなき時は死人に同じ。
時間を惜しんで、一体何をすべきなのかと言えば、
光陰、何のためにか惜しむとならば、
心の中に心配事がなく、俗世の雑用に追われない状態になって、
内に思慮なく、外に世事なくして、
世俗を捨てたい人は捨て、修行したい人は修行しろ」ということである。
止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。
📚古文全文
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。
愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、これを重ぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の一銭を惜しむ心、切なり。
刹那覚えずといへども、これを運びて止まざれば、命を終ふる期、たちまちに至る。されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、むなしく過ぐることを惜しむべし。もし、人来たりて、「わが命、明日は必ず失はるべし」と告げ知らせたらんに、今日の暮るる間、何ごとをか頼み、何ごとをか営ままん。われらが生ける今日の日、何ぞその時節に異らん。
一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、やむことを得ずして、多くの時を失ふ。その余りの暇、いくばくならぬうちに、無益のことをなし、無益のことを言ひ、無益のことを思惟して、時を移すのみならず、日を消し、月をわたりて、一生を送る。もつとも愚かなり。
謝霊運は法華の筆受なりしかども、心常に風雲の思ひを観ぜしかば、恵遠、白蓮の交はりを許さざりき。
しばらくもこれなき時は死人に同じ。光陰、何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。