真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
女性への気の利いた返事は難しいものだが、男は女性に笑われぬよう育つべきだ。しかし女性の本性は未熟なもの。その本性のままにさせておくのがかえって趣深いと説く。

🌙現代語対訳
「女性から話しかけられた時に、即座に
「女のもの言ひかけたる返事、とりあへず、
気の利いた返事ができる男性というのは、なかなかいないものだ」ということで、
よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、
亀山上皇の御代に、物慣れた女房たちが、
亀山院の御時、しれたる女房ども、
若い殿方が参上するたびに、
若き男たちの参らるるごとに、
「ホトトギスの声はもうお聞きになりましたか」と尋ねて、試しておられたところ、
「郭公や聞き給へる」と問ひて、こころみられけるに、
ある大納言とかいう人は、
なにがしの大納言とかやは、
「取るに足らない身分の者には、声を聞くことはできません」とお答えになった。
「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。
堀川内大臣殿は、「岩倉あたりで聞いたような気もいたしますが」と
堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と
おっしゃったのを、「この答えは非の打ちどころがない。
仰せられたりけるを、「これは難なし。
『取るに足らない身分』は、煩わしい」などと、評価し合っていたそうだ。
『数ならぬ身』、むつかし」など、さだめあはれけり。
総じて、男子は、女性に笑われないように育てるべきだと言われている。
すべて、男をば。女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。
「浄土寺の前関白殿は、幼い頃に、
「浄土寺前関白殿は、幼くて、
安喜門院がよくお教えになったために、
安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひけるゆゑに、
言葉遣いなどが素晴らしいのだ」と、人がおっしゃっていたとか。
御言葉などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。
山階左大臣殿は、「身分の低い下女に見られるのでさえ、
山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、
たいそう恥ずかしく、自然と気を遣ってしまうものだ」とおっしゃっていたそうだ。
いと恥しく、心づかひせらるる」とこそ仰せられけれ。
もしこの世に女性がいなかったならば、衣装の着こなしも冠のかぶり方も、
女の無き世なりせば、衣文も冠も、
どうでもよくなり、身なりを整える人などいないだろう。
いかにもあれ、ひき繕ふ人も侍らじ。
「このように、人に恥じらいを感じさせる女性とは、どれほど素晴らしいだろうか」
「かく、人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞ」
と思うと、女性の本性は皆ねじ曲がっている。
と思ふに、女の性はみなひがめり。
自己中心的で、欲が深く、物事の道理をわきまえず、
人我の相深く、貪欲はなはだしく、物の理を知らず、
すぐに迷いの方に心が移ってしまう。言葉は巧みで、
ただ迷ひの方に心も早く移り、言葉もたくみに、
何でもないことを尋ねると言わないくせに、
苦しからぬことをも問ふ時は言はず、
用心深いかと思えば、あきれるようなことまで
用意あるかと見れば、また、あさましきことまで、
聞きもしないのに話し出す。
問はず語りに言ひ出す。
深く策略をめぐらしうわべを飾ることでは、男の知恵にも勝るかと思うが、
深くたばかり飾れることは、男の智恵にも勝りたるかと思へば、
そのことが後から露見することを知らない。
そのこと、あとより現るるを知らず。
素直でなく、それでいて未熟なものが女性である。
素直ならずして拙きものは女なり。
女性の心に従って、よく思われようとすると、情けないことになるだろう。
その心にしたがひて、よく思はれんことは、心憂かるべし。
そう考えると、どうして女性に気後れする必要があるだろうか。
されば、何かは女の恥しからん。
もし、賢い女性がいたとしても、それも近寄りがたく、興ざめなものだろう。
もし、賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。
迷いが女性の本質なので、それに寄り添う時にこそ、優美さも、
ただ迷ひを主として、かれにしたがふ時、やさしくも、
面白さも、感じることができるのである。
おもしろくも思ゆべきことなり。


📚古文全文
「女のもの言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男たちの参らるるごとに、「郭公や聞き給へる」と問ひて、こころみられけるに、なにがしの大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。『数ならぬ身』、むつかし」など、さだめあはれけり。
すべて、男をば。女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関백殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひけるゆゑに、御言葉などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥しく、心づかひせらるる」とこそ仰せられけれ。女の無き世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひき繕ふ人も侍らじ。
「かく、人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞ」と思ふに、女の性はみなひがめり。人我の相深く、貪欲はなはだしく、物の理を知らず、ただ迷ひの方に心も早く移り、言葉もたくみに、苦しからぬことをも問ふ時は言はず、用意あるかと見れば、また、あさましきことまで、問はず語りに言ひ出す。深くたばかり飾れることは、男の智恵にも勝りたるかと思へば、そのこと、あとより現るるを知らず。
素直ならずして拙きものは女なり。その心にしたがひて、よく思はれんことは、心憂かるべし。されば、何かは女の恥しからん。もし、賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。
ただ迷ひを主として、かれにしたがふ時、やさしくも、おもしろくも思ゆべきことなり。