真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
猫またの噂を怖がる法師。夜道で飼い犬にじゃれつかれたのを、猫またの襲撃と勘違いして大騒ぎするという滑稽な話。

🌙現代語対訳
「奥深い山には、猫またというものがいて、人を食うそうだ」
「奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる」
と、ある人が話していると、
と、人の言ひけるに、
「山奥だけでなく、このあたりでも、年をとった猫が化けて
「山ならねども、これらにも、猫の経あがりて、
猫またになり、人を捕まえることがあるらしいですよ」
猫またになりて、人捕ることはあなるものを」
と言う者がいました。
と言ふ者ありけるを、
行願寺の近くに住む人が聞いて、
行願寺の辺にありけるが聞きて、
「一人で歩くことが多い私は、気をつけなければならない」
「一人歩かん身は、心すべきことにこそ」
と思っていたところでした。
と思ひけるころしも、
その法師がある場所で夜が更けるまで連歌をして、
ある所にて、夜更くるまで連歌して、
一人で帰る途中、小川のほとりで、
ただ一人帰りけるに、小川の端にて、
噂に聞いていた猫またが、まっしぐらに足元に寄って来て、
音に聞きし猫また、あやまたず足もとへふと寄り来て、
いきなり飛びかかり、首のあたりを食おうとしました。
やがてかきつくままに、頸のほどを食はんとす。
法師は肝をつぶし、防ごうとしましたが、力が入らず腰が抜けて、
肝心も失せて、防がんとするに、力もなく足も立たず、
小川へ転げ落ち、「助けてくれ、猫まただ」
小川へ転び入りて、「助けよや、猫また、よやよや」
と叫んだので、家々から松明を灯して人が駆けつけ、
と叫べば、家々より、松ども灯して走り寄りて、
見れば、このあたりで見知った僧でした。
見れば、このわたりに見知れる僧なり。
「これはどうしたことか」と、川の中から抱き起こすと、
「こはいかに」とて、川の中より抱き起したれば、
連歌の景品や扇子、小箱などを懐に入れていたものもすべて、
連歌の懸物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、
水に濡れ、法師はやっとのことで助かった様子で、
水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、
はうように家に入りました。
這ふ這ふ家に入りにけり。
実は、飼っていた犬が、暗いけれど、主人だと気づいて
飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、
飛び付いてきたということだそうです。
飛び付きたりけるとぞ。
📚古文全文
「奥山に、猫またといふものありて、人を食らふなる」と、人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経あがりて、猫またになりて、人捕ることはあなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、「一人歩かん身は、心すべきことにこそ」と思ひけるころしも、ある所にて、夜更くるまで連歌して、ただ一人帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず足もとへふと寄り来て、やがてかきつくままに、頸のほどを食はんとす。
肝心も失せて、防がんとするに、力もなく足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫また、よやよや」と叫べば、家々より、松ども灯して走り寄りて、見れば、このわたりに見知れる僧なり。
「こはいかに」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の懸物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。
飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。