古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草085|人の心、素直ならねば、偽りなきにしもあらず・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

賢者を憎む愚者とは違い、偽りからでも賢者を学ぶ人こそ賢者であると、学ぶ姿勢の重要性を説いている。

🌙現代語対訳

人の心は、真っ直ぐではありませんから、偽りがないわけではありません。

ひとこころ素直すなほならねば、いつわりなきにしもあらず。

しかし、生まれつき正直な人が、どうしていないと言えるでしょうか。

されども、おのづから正直しょうじきひと、などかなからん。

自分自身は真っ直ぐでなくても、徳の高い立派な人を見て羨ましく思うのは普通のことです。

おのれ素直すなほならねど、ひとけんうらやむは尋常よのつねなり。

どうしようもなく愚かな人は、徳の高い立派な人を見ると、それを憎みます。

いたりておろかなるひとは、たまたまけんなるひとて、これをにくむ。

「大きな利益を得るために、小さな利益を受け取らないだけだ。

おおきなるんがために、すこしきのけず、

偽善で評判を良くしようとしている」と、悪口を言うのです。

いつわかざりて、てんとす」とそしる。

自分の欲望とは違うからといって、このように嘲るのを見れば分かります。

おのれがこころにたがへるによりて、このあざけりをなすにてりぬ、

こういう人は、愚か者で、その性分は変わらないでしょう。

このひと下愚げぐしょううつるべからず、

彼らは、心を偽って小さな利益を断ることもできず、仮にでも賢者に学ぶことはないのです。

いつわりて小利しょうりをもすべからず、かりにもけんまなぶべからず。

狂人の真似をして大通りを走れば、その人はもはや狂人です。

狂人きょうじん真似まねもて大路おおじはしらば、すなはち狂人きょうじんなり。

悪人の真似だと言って人を殺さば、その人はもはや悪人です。

悪人あくにん真似まねとてひところさば、悪人あくにんなり。

名馬に学ぼうとすれば名馬の仲間となり、中国の聖人である舜に学べば、舜の仲間となります。

まなぶはのたぐひ、しゅんまなぶはしゅんともがらなり。

たとえ偽りや真似事であっても、賢者に学ぼうとする人を、賢者と呼ぶべきです。

いつわりてもけんまなばんを、けんふべし。

📚古文全文

ひとこころ素直すなほならねば、いつわりなきにしもあらず。されども、おのづから正直しょうじきひと、などかなからん。おのれ素直すなほならねど、ひとけんうらやむは尋常よのつねなり。
いたりておろかなるひとは、たまたまけんなるひとて、これをにくむ。「おおきなるんがために、すこしきのけず、いつわかざりて、てんとす」とそしる。おのれがこころにたがへるによりて、このあざけりをなすにてりぬ、このひと下愚げぐしょううつるべからず、いつわりて小利しょうりをもすべからず、かりにもけんまなぶべからず。
狂人きょうじん真似まねもて大路おおじはしらば、すなはち狂人きょうじんなり。悪人あくにん真似まねとてひところさば、悪人あくにんなり。まなぶはのたぐひ、しゅんまなぶはしゅんともがらなり。
いつわりてもけんまなばんを、けんふべし。