古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草073|世に語り伝ふること、まことはあいなきにや・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

世は嘘が多く、巧妙な嘘は特に恐ろしい。物事はありふれたことと心得、仏神の奇跡などは、むやみに信じも疑いもしないのが良いという処世術。

🌙現代語対訳

世の中で語り継がれていることは、本当のことは面白みがないからでしょうか、多くはみな嘘です。

かたつたふること、まことはあいなきにや、おおくはみな虚言そらごとなり。

人は実際よりも、大げさに言うものなので、

あるにもぎて、ひとはものをひなすに、

ましてや年月が経ち、場所も離れてしまえば、

まして年月としつきぎ、さかいへだたりぬれば、

言いたい放題に話を作ってしまい、書物にでも書き留められれば、

ひたきままにかたりなして、ふでにもきとどめぬれば、

やがては定説となります。

やがてまたさだりぬ。

様々な分野の名人の素晴らしい偉業なども、頭が働かない人で、

道々みちみちもの上手じょうずのいみじきことなど、かたくななるひとの、

その分野を知らない人は、まるで神業のように語りますが、

そのみちらぬは、そぞろにかみのごとくにへども、

その分野を知っている人は、全くそれを信じません。

みちれるひとは、さらにしんもおこさず。

噂で聞くのと、実際に目で見るのとでは、何事も違うものなのです。

おとくと、ときとは、なにごともるものなり。

後で嘘がばれることも気にせず、

かつあらはるるをもかへりみず、

口にまかせて言い散らすような嘘は、

くちにまかせてらすは、

すぐに根拠の無いものだと分かります。

やがてきたることときここゆ。

また、自分でも本当ではないだろうと思いながら、

また、われも、まことしからずはおもひながら、

人から聞いた話を、得意げに語る人がいますが、

ひとひしままに、はなのほどおごめきてふは、

これはその人自身が生み出した嘘ではありません。

そのひと虚言そらごとにはあらず。

まことしやかに、所々で言葉を濁したり、

げにげにしく所々ところどころうちおぼめき、

「詳しくは知らないのですが」などと言ったりしながらも、

よくらぬよしして、さりながら、

つじつまを合わせて語る嘘は、恐ろしいものです。

つまづまはせてかた虚言そらごとは、おそしきことなり。

自分の体面が保たれる、都合の良い嘘に対しては、

わがため、面目めんぼくあるやうにはれぬる虚言そらごとは、

人は強く反論しません。

ひと、いたくあらがはず。

皆が面白がっている嘘に対して、一人だけ、「そんなことはなかったはずだが」

みなひときょうずる虚言そらごとは、一人ひとり、「さもなかりしものを」

と言っても無駄なので、黙って聞いているうちに、

はんもせんなくて、たるほどに、

自分まで証人にされてしまい、その嘘は定着してしまいます。

証人しょうにんにさへなされて、いとどさだりぬべし。

とにもかくにも、この世は嘘の多いものです。

とにもかくにも、虚言そらごとおおなり。

物事はただいつも通り、普通のこととして捉えておくのが、

たたつねにある、めずらしからぬことのままに心得こころえたらん、

万事において間違いがないでしょう。

よろづたがふべからず。

下々の人の話は、耳を疑うようなことばかりです。

しもざまのひと物語ものがたりは、みみおどろくことのみあり。

まともな人は、あやしいことを語ったりはしません。

よきひとは、あやしきことをかたらず。

このように言いましたが、仏や神の奇跡や、その化身である人々の伝記などを、

かくはへど、仏神ぶっしん奇特きどく権者ごんじゃ伝記でんき

全く信じるべきではない、というわけでもありません。

さのみしんぜざるべきにもあらず。

これらの話については、世の中に広まっている作り話を、

これは、世俗せぞく虚言そらごとを、

心の底から信じ込むのも愚かですし、

ねんごろにしんじたるもをこがましく、

「そんなことがあるはずがない」と言っても仕方がないことです。。

「よもあらじ」などふもせんなければ、

大筋では本当のこととして扱いながらも、

おほかたはまことしくあひしらひて、

全面的に信じ込むのではなく、また、疑ってばかにするべきでもありません。

ひとへにしんぜず、また、うたがあざけるべからず。

📚古文全文

かたつたふること、まことはあいなきにや、おおくはみな虚言そらごとなり。
あるにもぎて、ひとはものをひなすに、まして年月としつきぎ、さかいへだたりぬれば、ひたきままにかたりなして、ふでにもきとどめぬれば、やがてまたさだりぬ。道々みちみちもの上手じょうずのいみじきことなど、かたくななるひとの、そのみちらぬは、そぞろにかみのごとくにへども、みちれるひとは、さらにしんもおこさず。おとくと、ときとは、なにごともるものなり。
かつあらはるるをもかへりみず、くちにまかせてらすは、やがてきたることときここゆ。また、われも、まことしからずはおもひながら、ひとひしままに、はなのほどおごめきてふは、そのひと虚言そらごとにはあらず。げにげにしく所々ところどころうちおぼめき、よくらぬよしして、さりながら、つまづまはせてかた虚言そらごとは、おそしきことなり。
わがため、面目めんぼくあるやうにはれぬる虚言そらごとは、ひと、いたくあらがはず。みなひときょうずる虚言そらごとは、一人ひとり、「さもなかりしものを」とはんもせんなくて、たるほどに、証人しょうにんにさへなされて、いとどさだりぬべし。
とにもかくにも、虚言そらごとおおなり。たたつねにある、めずらしからぬことのままに心得こころえたらん、よろづたがふべからず。しもざまのひと物語ものがたりは、みみおどろくことのみあり。よきひとは、あやしきことをかたらず。
かくはへど、仏神ぶっしん奇特きどく権者ごんじゃ伝記でんき、さのみしんぜざるべきにもあらず。これは、世俗せぞく虚言そらごとを、ねんごろにしん</じたるもをこがましく、「よもあらじ」などふもせんなければ、おほかたはまことしくあひしらひて、ひとへにしんぜず、また、うたがあざけるべからず。