真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
ポイント
久しぶりに会った時の会話作法や、話し方、笑い方から人の品格がわかること、会話に割り込むことのみっともなさを説いています。
こんな下世話なことをいちいち書き連ねるのが斬新なスタイルだったのかも。

『徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース
🌙現代語対訳
長い間会っていなかった人が、その間に自分の身に起こった出来事を、
久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、
あれもこれも、一つ残らず延々と語り続けるのは、実につまらないものです。
かずかずに残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。
どんなに親しい間柄の友人でも、
隔てなく馴れぬる人も、
しばらくぶりに会うのは、少しはにかむような気持ちがあるものではないでしょうか。
ほど経て見るは恥かしからぬかは。
身分のそれほど高くない人は、
つぎざまの人は、
ちょっと顔を出しただけでも、「今日、こんなことがありましてね」と、
あからさまに立ち出でても、「今日ありつること」とて、
息もつかずに夢中で話したがるものです。
息もつぎはへず語り興するぞかし。
品のある人が話をするときは、たとえ大勢の人がいても、
良き人の物語するは、人あまたあれど、
一人に向かって話していることを、
一人に向きて言ふを、
周りの人は、それを自然と聞くことになります。
おのづから人も聞くにこそあれ。
一方で、品のない人は、相手を定めず、集団の真ん中で、
良からぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、
まるで見ていることのように話をするので、皆が一度にやかましく笑い騒ぎます。
見ることのやうに語りなせば、みな同じく笑ひののしる。
実に騒々しいことです。
いとらうがはし。
面白いことを聞いても、大げさに騒ぎ立てず、
をかしきことを言ひてもいたく興ぜぬと、
逆につまらないことを聞いても、愛想よく笑ってあげられる、その態度にこそ、
興なきことを言ひてもよく笑ふにぞ、
品格というものが、推し量られるのでしょう。
品のほど、はかられぬべき。
人の容姿の善し悪しや、学才のある人が、容姿や才能について品定めをしている時に、
人のみざまの良し悪し、才ある人は、そのことなど定めあへるに、
自分のことを、関連づけて会話に割り込んでくるのは、
己がことを 引きかけて言ひ出でたる、
実にみっともないものです。
いとわびし。
📚古文全文
久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、かずかずに残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、ほど経て見るは恥かしからぬかは。
つぎざまの人は、あからさまに立ち出でても、「今日ありつること」とて、息もつぎはへず語り興するぞかし。良き人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから人も聞くにこそあれ。良からぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、みな同じく笑ひののしる。いとらうがはし。
をかしきことを言ひてもいたく興ぜぬと、興なきことを言ひてもよく笑ふにぞ、品のほど、はかられぬべき。
人のみざまの良し悪し、才ある人は、そのことなど定めあへるに、己がことを 引きかけて言ひ出でたる、いとわびし。