古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草056|久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

ポイント

久しぶりに会った時の会話作法や、話し方、笑い方から人の品格がわかること、会話に割り込むことのみっともなさを説いています。

こんな下世話なことをいちいち書き連ねるのが斬新なスタイルだったのかも。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

長い間会っていなかった人が、その間に自分の身に起こった出来事を、

ひさしくへだたりてひたるひとの、わがかたにありつること、

あれもこれも、一つ残らず延々と語り続けるのは、実につまらないものです。

かずかずにのこりなくかたつづくるこそ、あいなけれ。

どんなに親しい間柄の友人でも、

へだてなくれぬるひとも、

しばらくぶりに会うのは、少しはにかむような気持ちがあるものではないでしょうか。

ほどるははづかしからぬかは。

 

身分のそれほど高くない人は、

つぎざまのひとは、

ちょっと顔を出しただけでも、「今日、こんなことがありましてね」と、

あからさまにでても、「今日けふありつること」とて、

息もつかずに夢中で話したがるものです。

いきもつぎはへずかたきょうするぞかし。

品のある人が話をするときは、たとえ大勢の人がいても、

ひと物語ものがたりするは、ひとあまたあれど、

一人に向かって話していることを、

一人ひとりきてふを、

周りの人は、それを自然と聞くことになります。

おのづからひとくにこそあれ。

一方で、品のない人は、相手を定めず、集団の真ん中で、

からぬひとは、たれともなく、あまたのなかにうちでて、

まるで見ていることのように話をするので、皆が一度にやかましく笑い騒ぎます。

ることのやうにかたりなせば、みなおなじくわらひののしる。

実に騒々しいことです。

いとらうがはし。

 

面白いことを聞いても、大げさに騒ぎ立てず、

をかしきことをひてもいたくきょうぜぬと、

逆につまらないことを聞いても、愛想よく笑ってあげられる、その態度にこそ、

きょうなきことをひてもよくわらふにぞ、

品格というものが、推し量られるのでしょう。

しなのほど、はかられぬべき。

 

人の容姿の善し悪しや、学才のある人が、容姿や才能について品定めをしている時に、

ひとのみざまのし、ざえあるひとは、そのことなどさだめあへるに、

自分のことを、関連づけて会話に割り込んでくるのは、

おのがことを きかけてでたる、

実にみっともないものです。

いとわびし。

📚古文全文

ひさしくへだたりてひたるひとの、わがかたにありつること、かずかずにのこりなくかたつづくるこそ、あいなけれ。へだてなくれぬるひとも、ほどるははづかしからぬかは。
つぎざまのひとは、あからさまにでても、「今日けふありつること」とて、いきもつぎはへずかたきょうするぞかし。ひと物語ものがたりするは、ひとあまたあれど、一人ひとりきてふを、おのづからひとくにこそあれ。からぬひとは、たれともなく、あまたのなかにうちでて、ることのやうにかたりなせば、みなおなじくわらひののしる。いとらうがはし。
をかしきことをひてもいたくきょうぜぬと、きょうなきことをひてもよくわらふにぞ、しなのほど、はかられぬべき。
ひとのみざまのし、ざえあるひとは、そのことなどさだめあへるに、おのがことを きかけてでたる、いとわびし。