真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
仁和寺の僧侶が石清水八幡宮へ参拝したが、ふもとの寺社だけを見て満足してしまう。何かするときは、ちょっとしたことでも案内役が重要であるという教え。

🌙現代語対訳
仁和寺にいたある僧侶が、年をとるまで
仁和寺にある法師、年寄るまで、
石清水八幡宮にお参りしたことがなかったので、
石清水を拝まざりければ、
残念に思っていました。
心憂く思えて、
ある時とうとう決心して、
ある時、思ひ立ちて、
一人だけで、歩いてお参りに出かけました。
ただ一人、徒歩より詣でけり。
石清水八幡宮のふもとにある極楽寺や高良神社などをお参りして、
極楽寺・高良などを拝みて、
「これですべてお参りしたのだ」と満足して、帰ってきました。
「かばかり」と心得て、帰りにけり。
さて、お寺の仲間に会って、このように報告しました。
さて、かたへの人に会ひて、
「長年、念願だった石清水へのお参りを、果たしてきました。
「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。
聞いていた以上に、尊い場所でした。
聞きしにも過ぎて、貴くこそおはしけれ。
ところで、お参りに来ていた人々が、皆、山の上へと登っていましたが、
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、
一体何があったのでしょうか。
何事かありけん。
気にはなりましたが、
ゆかしかりしかど、
『神様にお参りするのが本来の目的なのだから』と思って、
『神へ参るこそ本意なれ』と思ひて、
山の上までは見に行きませんでした」といいました。
山までは見ず」とぞ言ひける。
些細なことでも、案内役(指導者)は、
少しのことにも、先達は
いてほしいものですね。
あらまほしきことなり。

📚古文全文
仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心憂く思えて、ある時、思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、「かばかり」と心得て、帰りにけり。
さて、かたへの人に会ひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、貴くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。ゆかしかりしかど、『神へ参るこそ本意なれ』と思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。