真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
応長のころ、「鬼の女が来た」という噂で都中が大騒ぎになった。結局誰も見なかったが、後に流行病の前兆だったと噂された。

🌙現代語対訳
応長のころ、伊勢の国より、
鬼になった女を京都に連れて来たという噂が立ち、
女の鬼になりたるを率て上りたるといふことありて、
その頃20日間くらい、毎日、京都・白川の人が
そのころ二十日ばかり、日ごとに京・白川の人、
「鬼見物だ」とむやみに出かけていた。
「鬼見に」とて出でまどふ。
「昨日は西園寺にいた」
「昨日は西園寺に参りたりし」、
「今日は上皇の御所へ行くだろう」
「今日は院へ参るべし」、
「今はどこそこに」などと言い合っている。
「ただ今はそこそこに」など言ひあへり。
「確かに見た」と言う人もなく、
「まさしく見たり」と言ふ人もなく、
「嘘だ」と言う人もなく、
「虚言」と言ふ人もなし。
身分を問わず、鬼のことばかり話していた。
上下、ただ鬼のことのみ言ひやまず。
その頃、東山から安居院の辺へ行くと、
そのころ東山より、安居院の辺へまかり侍りしに、
京都の四条通りより北側の人が皆、北へ向かって走っていた。
四条よりかみさまの人、みな北をさして走る。
「一条室町に鬼がいる」と騒ぎ合っている。
「一条室町に鬼あり」と、ののしりあへり。
今出川の辺から見ると、御桟敷(上皇の祭り見物の席)の周りは、
今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、
通り抜けられないほどごった返していた。
さらに通り得べうもあらず立ち込みたり。
「まったく、根拠のないことでもなさそうだ」と
「はやく、跡なきことにはあらざめり」とて、
人をやって見させたが、誰も鬼に会えなかった。
人をやりて見するに、おほかた会へる者なし。
日が暮れるまで騒ぎ、しまいには喧嘩になって
暮るるまでかく立ち騒ぎて、はては闘諍おこりて、
嘆かわしい有様だった。
あさましきことどもありけり。
その頃、一般に、
そのころ、おしなべて、
二、三日病む人があったが、
二三日人のわづらふこと侍りしをぞ、
「あの鬼の噂は、この前兆だったのか」
「かの鬼の虚言は、このしるしを示すなりけり」
と言う人もいた。
と言ふ人も侍りし。
📚古文全文
応長のころ、伊勢の国より、女の鬼になりたるを率て上りたるといふことありて、そのころ二十日ばかり、日ごとに京・白川の人、「鬼見に」とて出でまどふ。
「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「ただ今はそこそこに」など言ひあへり。「まさしく見たり」と言ふ人もなく、「虚言」と言人もなし。上下、ただ鬼のことのみ言ひやまず。
そのころ東山より、安居院の辺へまかり侍りしに、四条よりかみさまの人、みな北をさして走る。「一条室町に鬼あり」と、ののしりあへり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、さらに通り得べうもあらず立ち込みたり。「はやく、跡なきことにはあらざめり」とて、人をやりて見するに、おほかた会へる者なし。暮るるまでかく立ち騒ぎて、はては闘諍おこりて、あさましきことどもありけり。
そのころ、おしなべて、二三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、このしるしを示すなりけり」と言ふ人も侍りし。