古文で読みたい

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徒然草050|応長のころ、伊勢国より、女の鬼になりたるを・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

応長のころ、「鬼の女が来た」という噂で都中が大騒ぎになった。結局誰も見なかったが、後に流行病の前兆だったと噂された。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

応長年間(1311年)のこと、伊勢国三重県)から、

応長おうちょうのころ、伊勢いせくにより、

鬼になった女を京都に連れて来たという噂が立ち、

おんなおにになりたるをのぼりたるといふことありて、

その頃20日間くらい、毎日、京都・白川の人が

そのころ二十日はつかばかり、ごとにきょう白川しらかわひと

「鬼見物だ」とむやみに出かけていた。

おにに」とてでまどふ。

「昨日は西園寺にいた」

昨日きのう西園寺さいおんじまいりたりし」、

「今日は上皇の御所へ行くだろう」

今日きょういんまいるべし」、

「今はどこそこに」などと言い合っている。

「ただいまはそこそこに」などひあへり。

「確かに見た」と言う人もなく、

「まさしくたり」とひともなく、

「嘘だ」と言う人もなく、

虚言そらごと」とひともなし。

身分を問わず、鬼のことばかり話していた。

上下じょうげ、ただおにのことのみひやまず。

その頃、東山から安居院の辺へ行くと、

そのころ東山ひがしやまより、安居院あぐいあたりへまかりはべりしに、

京都の四条通りより北側の人が皆、北へ向かって走っていた。

四条しじょうよりかみさまのひと、みなきたをさしてはしる。

「一条室町に鬼がいる」と騒ぎ合っている。

一条いちじょう室町むろまちおにあり」と、ののしりあへり。

今出川の辺から見ると、御桟敷(上皇の祭り見物の席)の周りは、

今出川いまでがわあたりよりやれば、いんおん桟敷さじきのあたり、

通り抜けられないほどごった返していた。

さらにとおべうもあらずみたり。

「まったく、根拠のないことでもなさそうだ」と

「はやく、あとなきことにはあらざめり」とて、

人をやって見させたが、誰も鬼に会えなかった。

ひとをやりてするに、おほかたへるものなし。

日が暮れるまで騒ぎ、しまいには喧嘩になって

るるまでかくさわぎて、はては闘諍とうじょうおこりて、

嘆かわしい有様だった。

あさましきことどもありけり。

その頃、一般に、

そのころ、おしなべて、

二、三日病む人があったが、

さんにちひとのわづらふことはべりしをぞ、

「あの鬼の噂は、この前兆だったのか」

「かのおに虚言そらごとは、このしるしをしめすなりけり」

と言う人もいた。

ひとはべりし。

📚古文全文

応長おうちょうのころ、伊勢いせくにより、おんなおにになりたるをのぼりたるといふことありて、そのころ二十日はつかばかり、ごとにきょう白川しらかわひと、「おにに」とてでまどふ。
昨日きのう西園寺さいおんじまいりたりし」、「今日きょういんまいるべし」、「ただいまはそこそこに」などひあへり。「まさしくたり」とひともなく、「虚言そらごと」といふひともなし。上下じょうげ、ただおにのことのみひやまず。
そのころ東山ひがしやまより、安居院あぐいあたりへまかりはべりしに、四条しじょうよりかみさまのひと、みなきたをさしてはしる。「一条いちじょう室町むろまちおにあり」と、ののしりあへり。今出川いまでがわあたりよりやれば、いんおん桟敷さじきのあたり、さらにとおべうもあらずみたり。「はやく、あとなきことにはあらざめり」とて、ひとをやりてするに、おほかたへるものなし。るるまでかくさわぎて、はては闘諍とうじょうおこりて、あさましきことどもありけり。
そのころ、おしなべて、さんにちひとのわづらふことはべりしをぞ、「かのおに虚言そらごとは、このしるしをしめすなりけり」とひとはべりし。