古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草049|老来たりて、はじめて道を行ぜんと待つことなかれ・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

老いてから仏道に入ろうと待つな。死は若者にも訪れる。後悔せぬよう、常に無常を心に刻み、仏道に励むべきだ。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

年をとってから、初めて仏の道に入ろうなどと、待っていてはいけません。

おいたりて、はじめてみちぎょうぜんとつことなかれ。

古い墓を見れば、多くは若くして亡くなった人です。

ふるつかおおくはこれ少年しょうねんひとなり。

予期せぬ病にかかり、

はからざるにやまいけて、

まもなく、この世を去ろうとするその時になって

たちまちにこのらんとするときにこそ、

初めて、これまでの自分の生き方が間違っていたことに気づくのです。

はじめてぎぬるかたあやまれることはらるなれ。

誤りとは、他でもありません。

あやまりといふは、のことにあらず。

すぐにでもすべきことを後回しにし、急がなくてもよいことを先にしてきた、

すみやかにすべきことをゆるくし、ゆるくすべき ことをいそぎて、

過ぎた日々の過ちの悔しさです。

ぎにしことのくやしきなり。

その時になって後悔しても、もう取り返しがつきません。

そのときゆとも、かひあらんや。

人はただ、この身が無常であり死が迫っていることを心に深く刻みつけ、

ひとはただ、無常むじょうせまりぬることをこころにひしとかけて、

一瞬たりとも忘れてはならないのです。

つかのわするまじきなり。

そうすれば、どうして、俗世の汚濁も薄れ、

さらば、などか、このにごりもうすく、

仏道に励む心が誠実なものにならないことがあるでしょうか。

仏道ぶつどうつとむるこころもまめやかならざらん。

「昔ある聖人は、人が来て

むかしありけるひじりは、ひとたりて、

自分や他人の用事を話していると、このように答えた、

自他じた要事ようじときこたへていはく、

『今、緊急の用事があって、すでに差し迫っています』といって、

いま火急かきゅうのことありて、すでに朝夕ちょうせきせまれり』とて、

耳をふさぎ、念仏を唱え、ついに亡くなった」と、

みみをふたぎて、念仏ねんぶつして、つひに往生おうじょうげけり」と、

禅林寺の永観が書いた『往生十因』に書いてあります。

禅林ぜんりん十因じゅういんはべり。

また、心戒という聖人は、

心戒しんかいといひけるひじりは、

この世の儚さを思うあまり、

あまりにこののかりそめなることをおもひて、

静かに座ることさえなく、

しずかについゐけることだになく、

いつも、うずくまってばかりだったということです。

つねはうずくまりてのみぞありける。

📚古文全文

おいたりて、はじめてみちぎょうぜんとつことなかれ。ふるつかおおくはこれ少年しょうねんひとなり。はからざるにやまいけて、たちまちにこのらんとするときにこそ、はじめてぎぬるかたあやまれることはらるなれ。

あやまりといふは、のことにあらず。すみやかにすべきことをゆるくし、ゆるくすべき ことをいそぎて、ぎにしことのくやしきなり。そのときゆとも、かひあらんや。

ひとはただ、無常むじょうせまりぬることをこころにひしとかけて、つかのわするまじきなり。さらば、などか、このにごりもうすく、仏道ぶつどうつとむるこころもまめやかならざらん。

むかしありけるひじりは、ひとたりて、自他じた要事ようじときこたへていはく、『いま火急かきゅうのことありて、すでに朝夕ちょうせきせまれり』とて、みみをふたぎて、念仏ねんぶつして、つひに往生おうじょうげけり」と、禅林ぜんりん十因じゅういんはべり。

心戒しんかいといひけるひじりは、あまりにこののかりそめなることをおもひて、しずかについゐけることだになく、つねはうずくまりてのみぞありける。