真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
老いてから仏道に入ろうと待つな。死は若者にも訪れる。後悔せぬよう、常に無常を心に刻み、仏道に励むべきだ。

🌙現代語対訳
年をとってから、初めて仏の道に入ろうなどと、待っていてはいけません。
老来たりて、はじめて道を行ぜんと待つことなかれ。
古い墓を見れば、多くは若くして亡くなった人です。
古き墳、多くはこれ少年の人なり。
予期せぬ病にかかり、
はからざるに病を受けて、
まもなく、この世を去ろうとするその時になって
たちまちにこの世を去らんとする時にこそ、
初めて、これまでの自分の生き方が間違っていたことに気づくのです。
はじめて過ぎぬる方の誤れることは知らるなれ。
誤りとは、他でもありません。
誤りといふは、他のことにあらず。
すぐにでもすべきことを後回しにし、急がなくてもよいことを先にしてきた、
速にすべきことを緩くし、緩くすべき ことを急ぎて、
過ぎた日々の過ちの悔しさです。
過ぎにしことの悔しきなり。
その時になって後悔しても、もう取り返しがつきません。
その時悔ゆとも、かひあらんや。
人はただ、この身が無常であり死が迫っていることを心に深く刻みつけ、
人はただ、無常の身に迫りぬることを心にひしとかけて、
一瞬たりとも忘れてはならないのです。
つかの間も忘るまじきなり。
そうすれば、どうして、俗世の汚濁も薄れ、
さらば、などか、この世の濁りも薄く、
仏道に励む心が誠実なものにならないことがあるでしょうか。
仏道を勤むる心もまめやかならざらん。
「昔ある聖人は、人が来て
「昔ありける聖は、人来たりて、
自分や他人の用事を話していると、このように答えた、
自他の要事を言ふ時、答へていはく、
『今、緊急の用事があって、すでに差し迫っています』といって、
『今、火急のことありて、すでに朝夕に迫れり』とて、
耳をふさぎ、念仏を唱え、ついに亡くなった」と、
耳をふたぎて、念仏して、つひに往生を遂げけり」と、
禅林寺の永観が書いた『往生十因』に書いてあります。
禅林の十因に侍り。
また、心戒という聖人は、
心戒といひける聖は、
この世の儚さを思うあまり、
あまりにこの世のかりそめなることを思ひて、
静かに座ることさえなく、
静かについゐけることだになく、
いつも、うずくまってばかりだったということです。
常はうずくまりてのみぞありける。
📚古文全文
老来たりて、はじめて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、たちまちにこの世を去らんとする時にこそ、はじめて過ぎぬる方の誤れることは知らるなれ。
誤りといふは、他のことにあらず。速にすべきことを緩くし、緩くすべき ことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。
人はただ、無常の身に迫りぬることを心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。
「昔ありける聖は、人来たりて、自他の要事を言ふ時、答へていはく、『今、火急のことありて、すでに朝夕に迫れり』とて、耳をふたぎて、念仏して、つひに往生を遂げけり」と、禅林の十因に侍り。
心戒といひける聖は、あまりにこの世のかりそめなることを思ひて、静かについゐけることだになく、常はうずくまりてのみぞありける。