真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
清水寺へ向かう道中、老いた尼が比叡山の若君を案じ、くしゃみのおまじない「くさめ」を一日中唱え続ける、その真心を描いている。

🌙現代語対訳
ある人が清水寺へお参りに行った時のこと、
ある人、清水へ参りけるに、
年老いた尼さんが同行していました。
老いたる尼の行きつれたりけるが、
その尼さんは、道すがら、ずっと「くさめ、くさめ」と唱えながら歩いていました。
道すがら、「くさめ、くさめ」と言ひもてゆきければ、
「尼様、何をそのように唱えていらっしゃるのですか」と尋ねましたが、
「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、
答えもせず、なおも唱え続けるので、
いらへもせず、なほ言ひやまざりけるを、
何度も尋ねていると、少し腹を立てた様子で、
たびたび問はれて、うち腹立ちて、
「もう!くしゃみをした時に、
「やや、鼻ひたる時、
こうしておまじないを唱えなければ死んでしまうと言うので、
かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、
お世話をしている若君が、比叡山で稚児としていらっしゃるのですが、
養君の、比叡山に児にておはしますが、
『今この瞬間にも、くしゃみをしているかもしれない』と思うと、
『ただ今もや、鼻ひ給はん』と思へば、
こうして唱えずにはいられないのですよ!」と言いました。
かく申すぞかし」と言ひけり。
ありがたく尊いひたむきな愛情ではないでしょうか。
ありがたき志なりけんかし。
📚古文全文
ある人、清水へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「くさめ、くさめ」と言ひもてゆきければ、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、いらへもせず、なほ言ひやまざりけるを、たびたび問はれて、うち腹立ちて、「やや、鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば、養君の、比叡山に児にておはしますが、『ただ今もや、鼻ひ給はん』と思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。
ありがたき志なりけんかし。