真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
高名な僧が鼻の病を患い、その顔が鬼のように変わり果て、人知れず亡くなったという痛ましい話。

🌙現代語対訳
唐橋中将という人の息子に、
唐橋中将といふ人の子に、
行雅僧都(ぎょうがそうず)という、真言密教の教義を教える僧侶がいました。
行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。
頭に気がのぼる病気で、
気の上る病ありて、
年をとるにつれて、鼻の中が塞がって
年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、
息をするのも苦しくなりました。
息も出でがたかりければ、
様々な治療を試みましたが、症状は重くなるばかりでした。
さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、
目や眉、額のあたりまで腫れ上がり、
目・眉・額なども腫れまどひて、
顔を覆ってしまったため、ものも見えなくなりました。
うち覆ひければ、ものも見えず、
その顔は、舞楽で使われる「二の舞」の面のようであり、
二の舞の面のやうに見えけるが、
ただただ恐ろしく、鬼のようになって、
ただ怖ろしく、鬼の顔になりて、
目は頭の上に吊り上がり、額のあたりが鼻のように腫れ上がるなどして、
目は頂のかたに付き、額のほど鼻になりなどして、
やがて、お寺の中の人にも、顔を見せず引きこもり、
後は坊の内の人にも見えずこもりゐて、
長年を過ごし、さらに病が重くなって、亡くなったということです。
年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
このような病気もあるものなのですね。
かかる病もあることにこそありけれ。

2 August 2017;Wikimedia Commons
📚古文全文
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。
気の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うち覆ひければ、ものも見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただ怖ろしく、鬼の顔になりて、目は頂のかたに付き、額のほど鼻になりなどして、後は坊の内の人にも見えずこもりゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
かかる病もあることにこそありけれ。