古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草038|名利に使はれて、しづかなるいとまなく・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

ポイント

名誉や利益、地位、知識を求めることは全て虚しい。真の境地は、そうした価値観を超えた所にあると説いています。兼好は世間の評価が気になってしかたないのだなと想像します。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

名誉や利益に心を奪われて、心静かに過ごす時間もなく、

名利めいり使つかはれて、しづかなるいとまなく、

一生を苦しみながら生きるのは、愚かなことです。

一生いっしゃうくるしむるこそ、おろかなれ。

財産が多ければ、身を守るのが難しくなります。

たからおほければ、まもるにまどし。

災いを呼び寄せ、面倒事を招き入れる仲立ちになります。

がいひ、るいまねくなかだちなり。

死んだ後に、北斗七星を支えるほどの黄金を残したとしても、

のちには、こがねをして北斗ほくとをささふとも、

残された人々の、悩みの種になるでしょう。

ひとのためにぞ、わづらはるべき。

愚かな人が、見た目で満足するような楽しみも、

おろかなるひとの、よろこばしむるたのしみ、

つまらないものです。

また、あぢきなし。

大きな牛車、肥えた馬、金や宝石の装飾品も、

おほきなるくるまえたるうま金玉きんぎょくかざりも、

心ある人が見れば、「嘆かわしく、愚かだ」と思うはずです。

こころあらんひとは、「うたて、おろかなり」とぞるべき。

金は山に捨て、玉は淵に捨てるべきです。

かねやまて、たまふちぐべし。

目先の利益に惑わされるのは、とりわけ愚かな人です。

にまどふは、すぐれておろかなるひとなり。

消えることのない名声を、長く後世に残すことは、

うづもれぬを、ながのこさんこそ、

理想的なことに思えるかもしれません。

あらまほしかるべけれ。

身分が高く、家柄が尊いからといって、

くらいたかく、やんごとなきをしも、

優れた人間だと言えるでしょうか。

すぐれたるひととやはいふべき。

愚かで未熟な人間でも、良い家柄に生まれ、時流に乗れば、

おろかにつたなきひとも、いへうまれ、ときにあへば、

高い位にのぼり、贅沢の限りを尽くすことだってあります。

高位かういのぼり、おごりをきはむるもあり。

その一方、偉大な賢人や聖人でも、

いみじかりし賢人けんじん聖人せいじん

みずから低い身分にとどまり、

みづからいやしきくらいり、

機会に恵まれずに生涯を終えた人は、数多くいます。

ときにあはずしてやみぬる、またおほし。

ですから、ひたすらに高い官職や位を望むのも、次に愚かなことです。

ひとへにたかつかさくらいのぞむも、つぎおろかなり。

知恵や精神のあり方で

智恵ちえこころとこそ、

優れた評判を残したい、と思うかもしれませんが、

にすぐれたるほまれものこさまほしきを、

よくよく考えてみれば、

つらつらおもへば、

評判を気にするというのは、他人の評価を喜ぶということです。

ほまれをあいするは、ひときをよろこぶなり。

褒める人も、悪く言う人も、どちらもこの世に残るわけではありません。

むるひとそしひと、ともににとどまらず。

評判を伝え聞く人も、またすぐにこの世を去っていきます。

つたかんひと、またまたすみやかにるべし。

いったい誰に対して恥じ、誰に知られたいと願うのでしょうか。

たれをかぢ、たれにかられんことをねがはん。

評判は、悪口の種にもなります。

ほまれはまたそしりのもとなり。

死んだ後の名声など、残ったところで何の役にも立ちません。

のちのこりてさらにやくなし。

これを願うのも、また愚かなことなのです。

これをねがふも、つぎおろかなり。

それでもなお、どうしても知恵を求め、

ただし、しひてもとめ、

賢くなりたいと願う人のために言うならば、

けんねがひとのためにはば、

知恵が世に現れると、かえって偽りが生まれるのです。

智恵ちえでてはいつはりあり。

才能とは、煩悩を増幅したものです。

才能さいのう煩悩ぼんなう増長ぞうぢゃうせるなり。

伝え聞いたり、書物から学んだ知識は、本当の知恵ではありません。

つたへてき、まなびてるは、まことのにあらず。

では、いったい何を「知恵」と呼ぶべきでしょうか。

いかなるをか、といふべき。

良い、悪いは本来は一つのものです。

不可ふか一条いちでうなり。

何を善と呼ぶのでしょうか。

いかなるをか、ぜんといふ。

境地に達した「まことの人」とは、知恵もなく、徳もなく、功績もなく、名声もありません。

まことのひとは、もなく、とくもなく、こうもなく、もなし。

誰がその存在を知り、誰がそのことを伝えられるでしょうか。

たれり、たれつたへん。

これは、その人が徳を隠したり、愚かなふりをしているのではありません。

これ、とくかくし、まもるにはあらず。

もともと、賢愚、得損という物差しの世界にいないからなのです。

もとより、賢愚けんぐ得失とくしつさかひらざればなり。

迷いに満ちた心で、名誉や利益を追い求めると、

まよひのこころをもちて、名利みょうりえうもとむるに、

これまで述べてきたような矛盾に陥ります。

かくのごとし。

万事は、すべてが虚しいものです。

万事ばんじは、みななり。

議論するにも値せず、願い求めるにも値しないのです。

ふにらず、ねがふにらず。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

📚古文全文

名利めいり使つかはれて、しづかなるいとまなく、一生いっしゃうくるしむるこそ、おろかなれ。
たからおほければ、まもるにまどし。がいひ、るいまねくなかだちなり。のちには、こがねをして北斗ほくとをささふとも、ひとのためにぞ、わづらはるべき。
おろかなるひとの、よろこばしむるたのしみ、また、あぢきなし。おほきなるくるまえたるうま金玉きんぎょくかざりも、こころあらんひとは、「うたて、おろかなり」とぞるべき。かねやまて、たまふちぐべし。にまどふは、すぐれておろかなるひとなり。
うづもれぬを、ながのこさんこそ、あらまほしかるべけれ。くらいたかく、やんごとなきをしも、すぐれたるひととやはいふべき。おろかにつたなきひとも、いへうまれ、ときにあへば、高位かういのぼり、おごりをきはむるもあり。いみじかりし賢人けんじん聖人せいじん、みづからいやしきくらいり、ときにあはずしてやみぬる、またおほし。ひとへにたかつかさくらいのぞむも、つぎおろかなり。
智恵ちえこころとこそ、にすぐれたるほまれものこさまほしきを、つらつらおもへば、ほまれをあいするは、ひときをよろこぶなり。むるひとそしひと、ともににとどまらず。つたかんひと、またまたすみやかにるべし。たれをかぢ、たれにかられんことをねがはん。ほまれはまたそしりのもとなり。のちのこりてさらにやくなし。これをねがふも、つぎおろかなり。
ただし、しひてもとめ、けんねがひとのためにはば、智恵ちえでてはいつはりあり。才能さいのう煩悩ぼんなう増長ぞうぢゃうせるなり。つたへてき、まなびてるは、まことのにあらず。
いかなるをか、といふべき。不可ふか一条いちでうなり。いかなるをか、ぜんといふ。まことのひとは、もなく、とくもなく、こうもなく、もなし。たれり、たれつたへん。これ、とくかくし、まもるにはあらず。もとより、賢愚けんぐ得失とくしつさかひらざればなり。
まよひのこころをもちて、名利みょうりえうもとむるに、かくのごとし。万事ばんじは、みななり。ふにらず、ねがふにらず。