真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
ポイント
名誉や利益、地位、知識を求めることは全て虚しい。真の境地は、そうした価値観を超えた所にあると説いています。兼好は世間の評価が気になってしかたないのだなと想像します。

🌙現代語対訳
名誉や利益に心を奪われて、心静かに過ごす時間もなく、
名利に使はれて、しづかなるいとまなく、
一生を苦しみながら生きるのは、愚かなことです。
一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
財産が多ければ、身を守るのが難しくなります。
財多ければ、身を守るにまどし。
災いを呼び寄せ、面倒事を招き入れる仲立ちになります。
害を買ひ、累を招くなかだちなり。
死んだ後に、北斗七星を支えるほどの黄金を残したとしても、
身の後には、金をして北斗をささふとも、
残された人々の、悩みの種になるでしょう。
人のためにぞ、わづらはるべき。
愚かな人が、見た目で満足するような楽しみも、
愚かなる人の、目を喜ばしむる楽しみ、
つまらないものです。
また、あぢきなし。
大きな牛車、肥えた馬、金や宝石の装飾品も、
大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、
心ある人が見れば、「嘆かわしく、愚かだ」と思うはずです。
心あらん人は、「うたて、愚かなり」とぞ見るべき。
金は山に捨て、玉は淵に捨てるべきです。
金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。
目先の利益に惑わされるのは、とりわけ愚かな人です。
利にまどふは、すぐれて愚かなる人なり。
消えることのない名声を、長く後世に残すことは、
埋もれぬ名を、長き世に残さんこそ、
理想的なことに思えるかもしれません。
あらまほしかるべけれ。
身分が高く、家柄が尊いからといって、
位高く、やんごとなきをしも、
優れた人間だと言えるでしょうか。
すぐれたる人とやはいふべき。
愚かで未熟な人間でも、良い家柄に生まれ、時流に乗れば、
愚かにつたなき人も、家に生れ、時にあへば、
高い位にのぼり、贅沢の限りを尽くすことだってあります。
高位に昇り、奢りを極むるもあり。
その一方、偉大な賢人や聖人でも、
いみじかりし賢人・聖人、
みずから低い身分にとどまり、
みづから賤しき位に居り、
機会に恵まれずに生涯を終えた人は、数多くいます。
時にあはずしてやみぬる、また多し。
ですから、ひたすらに高い官職や位を望むのも、次に愚かなことです。
ひとへに高き官・位を望むも、次に愚かなり。
知恵や精神のあり方で
智恵と心とこそ、
優れた評判を残したい、と思うかもしれませんが、
世にすぐれたる誉れも残さまほしきを、
よくよく考えてみれば、
つらつら思へば、
評判を気にするというのは、他人の評価を喜ぶということです。
誉れを愛するは、人の聞きを喜ぶなり。
褒める人も、悪く言う人も、どちらもこの世に残るわけではありません。
誉むる人、謗る人、ともに世にとどまらず。
評判を伝え聞く人も、またすぐにこの世を去っていきます。
伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。
いったい誰に対して恥じ、誰に知られたいと願うのでしょうか。
誰をか恥ぢ、誰にか知られんことを願はん。
評判は、悪口の種にもなります。
誉れはまた毀りのもとなり。
死んだ後の名声など、残ったところで何の役にも立ちません。
身の後の名、残りてさらに益なし。
これを願うのも、また愚かなことなのです。
これを願ふも、次に愚かなり。
それでもなお、どうしても知恵を求め、
ただし、しひて智を求め、
賢くなりたいと願う人のために言うならば、
賢を願ふ人のために言はば、
知恵が世に現れると、かえって偽りが生まれるのです。
智恵出でては偽りあり。
才能とは、煩悩を増幅したものです。
才能は煩悩の増長せるなり。
伝え聞いたり、書物から学んだ知識は、本当の知恵ではありません。
伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。
では、いったい何を「知恵」と呼ぶべきでしょうか。
いかなるをか、智といふべき。
良い、悪いは本来は一つのものです。
可・不可は一条なり。
何を善と呼ぶのでしょうか。
いかなるをか、善といふ。
境地に達した「まことの人」とは、知恵もなく、徳もなく、功績もなく、名声もありません。
まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。
誰がその存在を知り、誰がそのことを伝えられるでしょうか。
誰か知り、誰か伝へん。
これは、その人が徳を隠したり、愚かなふりをしているのではありません。
これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。
もともと、賢愚、得損という物差しの世界にいないからなのです。
もとより、賢愚得失の境に居らざればなり。
迷いに満ちた心で、名誉や利益を追い求めると、
迷ひの心をもちて、名利の要を求むるに、
これまで述べてきたような矛盾に陥ります。
かくのごとし。
万事は、すべてが虚しいものです。
万事は、みな非なり。
議論するにも値せず、願い求めるにも値しないのです。
言ふに足らず、願ふに足らず。

📚古文全文
名利に使はれて、しづかなるいとまなく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
財多ければ、身を守るにまどし。害を買ひ、累を招くなかだちなり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞ、わづらはるべき。
愚かなる人の、目を喜ばしむる楽しみ、また、あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、「うたて、愚かなり」とぞ見るべき。金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利にまどふは、すぐれて愚かなる人なり。
埋もれぬ名を、長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生れ、時にあへば、高位に昇り、奢りを極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賤しき位に居り、時にあはずしてやみぬる、また多し。ひとへに高き官・位を望むも、次に愚かなり。
智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉れも残さまほしきを、つらつら思へば、誉れを愛するは、人の聞きを喜ぶなり。誉むる人、謗る人、ともに世にとどまらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られんことを願はん。誉れはまた毀りのもとなり。身の後の名、残りてさらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。
ただし、しひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり。才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。
いかなるをか、智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか、善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。もとより、賢愚得失の境に居らざればなり。
迷ひの心をもちて、名利の要を求むるに、かくのごとし。万事は、みな非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。