古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草030|人の亡きあとばかり、悲しきはなし・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

人の死後、その悲しみは時と共に薄れ、ついには墓も故人の名も忘れ去られてしまう。その無常さと、人の世の哀れさを描いています。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

人の死後ほど、悲しいものはありません。

(ひと)()きあとばかり、(かな)しきはなし。

亡くなってから四十九日の間は、遺族は山里などに移り住み、

中陰(ちゅういん)のほど、山里(やまざと)などに(うつ)ろひて、

不便で狭い場所に大勢で集まって、

便悪(びんあ)しく(せば)(ところ)にあまたあひ()て、

後の法要などを営む様子はあわただしい。

(のち)のわざども(いとな)みあへるは、あはただし。

日数が早く過ぎていく速さは、他に例えようもありません。

日数(ひかず)(はや)()ぐるほどぞ、ものにも()ぬ。

四十九日の法要が終わる日には、実にそっけなく、互いに言葉を交わすこともなく、

()ての()は、いと(なさけ)なう、(たが)ひに()ふこともなく、

てきぱきと自分の荷物をまとめ、ばらばらに去っていきます。

われ(さか)しげにものひきしたため、ちりぢりに(ゆき)あかれぬ。

もといた家に帰ってから、なお一層、悲しむことが多いのです。

もとの住処(すみか)(かへ)りてぞ、さらに(かな)しきことは(おほ)かるべき。

「こういった事項は、気を付けて慎みなさい、

「しかしかのことは、あなかしこ、

故人が往生を遂げるため、やってはいけないことです」などと言うのを見ると、

あとのため()むなることぞ」など()るこそ、

「これほどの悲しみの中にあって、何だというのか」と、

「かばかりの(うち)(なに)かは」と、

人の心は、かえって嫌に思ってしまいます。

(ひと)(こころ)は、なほうたて(おぼ)ゆれ。

年月が経っても、故人を完全に忘れるわけではありませんが、

年月(としつき)()ても、つゆ(わす)るるにはあらねど、

「去る者は日々に疎し」ということわざがあるように、

()(もの)日々(ひび)(うと)し」と()へることなれば、

そうはいっても、その時ほどには思わなくなるのでしょうか、

さはいへど、その(きは)ばかりは(おぼ)えぬにや、

どうでもいいことを言って笑ったりもするのです。

よしなしごと()ひて、うちも(わら)ひぬ。

亡骸は、人けが無く寂しい山の中に納められ、

(から)はけうとき(やま)(なか)(おさ)めて、

命日などの決まった日にだけお墓参りをしていると、

さるべき()ばかり(まう)でつつ()れば、

いつの間にか卒塔婆は苔むし、落ち葉に埋もれてしまいます。

ほどなく卒都婆(そとば)(こけ)むし、()()()(うづ)みて、

夕暮れの嵐と、夜の月だけが、訪れてくれる友となります。

(ゆふべ)(あらし)(よる)(つき)のみぞ、こと()よすがなりける。

思い出して、偲んでくれる人がいるうちはまだ良いのですが、

(おも)()でて(しの)(ひと)あらんほどこそあらめ、

その人もまた、やがてはこの世を去っていき、

そもまた、ほどなく()せて、

ただ名前を聞き伝えるだけの子孫たちは、悲しみを感じるでしょうか。

聞伝(ききつた)ふるばかりの末々(すゑずゑ)は、あはれとやは(おも)ふ。

やがては、墓参りをする習慣も途絶え、

さるは、(あと)()ふわざも()えぬれば、

そこに誰がいるのか、名前さえ知る人がいなくなります。

いづれ(ひと)()をだに()らず。

毎年の春の草を見て、情緒を解する人がしみじみと思うでしょうが、

年々(としどし)(はる)(くさ)のみぞ、(こころ)あらん(ひと)はあはれと()るべきを、

ついには、嵐に吹かれてむせび泣くようだった松も、千年を待たずに薪になり、

()ては、(あらし)にむせびし(まつ)千年(ちとせ)()たで(たきぎ)(くだ)かれ、

古いお墓は耕されて田んぼになります。

古墳(ふるきはか)はすかれて()となりぬ。

その形さえなくなってしまうのは、悲しいことです。

その(かた)だになくなりぬるぞ(かな)しき。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

📚古文全文

(ひと)()きあとばかり、(かな)しきはなし。
中陰(ちゅういん)のほど、山里(やまざと)などに(うつ)ろひて、便悪(びんあ)しく(せば)(ところ)にあまたあひ()て、(のち)のわざども(いとな)みあへるは、あはただし。日数(ひかず)(はや)()ぐるほどぞ、ものにも()ぬ。()ての()は、いと(なさけ)なう、(たが)ひに()ふこともなく、われ(さか)しげにものひきしたため、ちりぢりに(ゆき)あかれぬ。
もとの住処(すみか)(かへ)りてぞ、さらに(かな)しきことは(おほ)かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、あとのため()むなることぞ」など()るこそ、「かばかりの(うち)(なに)かは」と、(ひと)(こころ)は、なほうたて(おぼ)ゆれ。
年月(としつき)()ても、つゆ(わす)るるにはあらねど、「()(もの)日々(ひび)(うと)し」と()へることなれば、さはいへど、その(きは)ばかりは(おぼ)えぬにや、よしなしごと()ひて、うちも(わら)ひぬ。(から)はけうとき(やま)(なか)(おさ)めて、さるべき()ばかり(まう)でつつ()れば、ほどなく卒都婆(そとば)(こけ)むし、()()()(うづ)みて、(ゆふべ)(あらし)(よる)(つき)のみぞ、こと()よすがなりける。
(おも)()でて(しの)(ひと)あらんほどこそあらめ、そもまた、ほどなく()せて、聞伝(ききつた)ふるばかりの末々(すゑずゑ)は、あはれとやは(おも)ふ。
さるは、(あと)()ふわざも()えぬれば、いづれ(ひと)()をだに()らず。年々(としどし)(はる)(くさ)のみぞ、(こころ)あらん(ひと)はあはれと()るべきを、()ては、(あらし)にむせびし(まつ)千年(ちとせ)()たで(たきぎ)(くだ)かれ、古墳(ふるきはか)はすかれて()となりぬ。その(かた)だになくなりぬるぞ(かな)しき。