真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
人の死後、その悲しみは時と共に薄れ、ついには墓も故人の名も忘れ去られてしまう。その無常さと、人の世の哀れさを描いています。

『徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース
🌙現代語対訳
人の死後ほど、悲しいものはありません。
人の亡きあとばかり、悲しきはなし。
亡くなってから四十九日の間は、遺族は山里などに移り住み、
中陰のほど、山里などに移ろひて、
不便で狭い場所に大勢で集まって、
便悪しく狭き所にあまたあひ居て、
後の法要などを営む様子はあわただしい。
後のわざども営みあへるは、あはただし。
日数が早く過ぎていく速さは、他に例えようもありません。
日数の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。
四十九日の法要が終わる日には、実にそっけなく、互いに言葉を交わすこともなく、
果ての日は、いと情なう、互ひに言ふこともなく、
てきぱきと自分の荷物をまとめ、ばらばらに去っていきます。
われ賢しげにものひきしたため、ちりぢりに行あかれぬ。
もといた家に帰ってから、なお一層、悲しむことが多いのです。
もとの住処に帰りてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。
「こういった事項は、気を付けて慎みなさい、
「しかしかのことは、あなかしこ、
故人が往生を遂げるため、やってはいけないことです」などと言うのを見ると、
あとのため忌むなることぞ」など見るこそ、
「これほどの悲しみの中にあって、何だというのか」と、
「かばかりの中に何かは」と、
人の心は、かえって嫌に思ってしまいます。
人の心は、なほうたて思ゆれ。
年月が経っても、故人を完全に忘れるわけではありませんが、
年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、
「去る者は日々に疎し」ということわざがあるように、
「去る者は日々に踈し」と言へることなれば、
そうはいっても、その時ほどには思わなくなるのでしょうか、
さはいへど、その際ばかりは思えぬにや、
どうでもいいことを言って笑ったりもするのです。
よしなしごと言ひて、うちも笑ひぬ。
亡骸は、人けが無く寂しい山の中に納められ、
骸はけうとき山の中に納めて、
命日などの決まった日にだけお墓参りをしていると、
さるべき日ばかり詣でつつ見れば、
いつの間にか卒塔婆は苔むし、落ち葉に埋もれてしまいます。
ほどなく卒都婆も苔むし、木の葉降り埋みて、
夕暮れの嵐と、夜の月だけが、訪れてくれる友となります。
夕の嵐、夜の月のみぞ、こと問ふよすがなりける。
思い出して、偲んでくれる人がいるうちはまだ良いのですが、
思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、
その人もまた、やがてはこの世を去っていき、
そもまた、ほどなく失せて、
ただ名前を聞き伝えるだけの子孫たちは、悲しみを感じるでしょうか。
聞伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。
やがては、墓参りをする習慣も途絶え、
さるは、跡問ふわざも絶えぬれば、
そこに誰がいるのか、名前さえ知る人がいなくなります。
いづれの人と名をだに知らず。
毎年の春の草を見て、情緒を解する人がしみじみと思うでしょうが、
年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、
ついには、嵐に吹かれてむせび泣くようだった松も、千年を待たずに薪になり、
果ては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪に砕かれ、
古いお墓は耕されて田んぼになります。
古墳はすかれて田となりぬ。
その形さえなくなってしまうのは、悲しいことです。
その形だになくなりぬるぞ悲しき。

『徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース
📚古文全文
人の亡きあとばかり、悲しきはなし。
中陰のほど、山里などに移ろひて、便悪しく狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営みあへるは、あはただし。日数の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、互ひに言ふこともなく、われ賢しげにものひきしたため、ちりぢりに行あかれぬ。
もとの住処に帰りてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、あとのため忌むなることぞ」など見るこそ、「かばかりの中に何かは」と、人の心は、なほうたて思ゆれ。
年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、「去る者は日々に踈し」と言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは思えぬにや、よしなしごと言ひて、うちも笑ひぬ。骸はけうとき山の中に納めて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく卒都婆も苔むし、木の葉降り埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、こと問ふよすがなりける。
思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまた、ほどなく失せて、聞伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。
さるは、跡問ふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず。年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪に砕かれ、古墳はすかれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。