真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。
💭ポイント
全てが同じ意見の人では退屈だが、かといって根本的な価値観が違う人とは真の友にはなれない。理想の友人関係の難しさを描いています。

🌙現代語対訳
自分と意見の合う人と、静かにじっくりと語り合って、
同じ心ならん人と、しめやかに物語して、
趣深いことや、この世のはかなさといったことまで、
をかしきことも、世のはかなきことも、
包み隠さずに話して心を慰め合えたら、それは嬉しいことだろう。
うらなく言ひ慰まんこそ嬉しかるべきに、
しかし、そんな人はいないだろうし、
さる人あるまじければ、
意見が少しも違わない人と向かい合っていたら、
「つゆ違はざらん」と向ひ居たらんは、
まるで一人でいるような気持ちになるのではないだろうか。
一人ある心地やせん。
互いの言うことに対して
互ひに言はんほどのことをば、
「本当にそうだね」と聞き合えるのも良いが、
「げに」と聞くかひあるものから、
むしろ、少しぐらい意見が違う人の方が、
いささか違ふ所もあらん人こそ、
「私はそうは思わないな」などと言い合ったり、軽く反論し合ったり、
「我はさやは思ふ」など、争ひ憎み、
「だからこうなんだ」「なるほど」と語り合ったりすれば、
「さるから、さぞ」とも、うち語らはば、
退屈な時間も紛れるかもしれない、とも思う。
つれづれ慰まめと思へど、
けれども、よく考えると、世の中に対して不満を感じるポイントが自分と違う人は、
げには少しかこつかたも、われと等しからざらん人は、
結局のところ、当たり障りのない世間話をするくらいの間柄でしかいられないだろう。
おほかたのよしなしごと言はんほどこそあらめ、
本当の心の友となるには、
まめやかの心の友には、
大きな隔たりがあるに違いない。
はるかに隔たる所のありぬべきぞ、
なんとも寂しいことだ。
わびしきや。
📚古文全文
同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなきことも、うらなく言ひ慰まんこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、「つゆ違はざらん」と向ひ居たらんは、一人ある心地やせん。
互ひに言はんほどのことをば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など、争ひ憎み、「さるから、さぞ」とも、うち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、われと等しからざらん人は、おほかたのよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。