古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草011|神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

山里の静寂な庵の風情に感心したが、ただ一本の柑子ミカンの木が厳重に囲われているのを見て興ざめした。俗世を離れることの難しさを描いている。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

旧暦10月(新暦10月下旬から12月上旬)のころ、京都の栗栖野という場所を通り過ぎ、

神無月かんなづきのころ、栗栖野くるすのといふところぎて、

ある山里に人を訪ねて入っていったことがありました。

ある山里やまざとたづることはべりしに、

遥か先まで続く苔の生えた細い道を踏み分けていくと、

はるかなるこけ細道ほそみちけて、

寂しくひっそりとたたずむ小さな家がありました。

心細こころぼそみなしたるいおりあり。

落ち葉に埋もれた水を通す樋(とい)からしたたる水の音以外、

うづもるる、懸樋かけひのしづくならでは、

まったく音を立てるものはありません。

つゆおとなふものなし。

仏様にお供えをする棚には、菊や紅葉の枝が手折って散らしてあり、

閼伽棚あかだなに、きく紅葉もみぢなどらしたる、

これを見て、やはり誰かが住んでいるのだなと分かりました。

さすがにひとのあればなるべし。

「世俗を離れて、こんなにも静かに暮らしていけるものなのだなあ」と感心しながら眺めていると、

「かくてもあられけるよ」と、あはれにるほどに、

向こうの庭に、大きな柑子蜜柑 (こうじみかん)の木で、

かなたのにわに、おおきなる柑子こうじの、

枝がしなるほどたくさんの実をつけていました。

えだもたわわになりたるが、

ところが、その木の周りだけが頑丈な柵で厳重に囲われているのです。

まはりをきびしくかこひたりしこそ、

それを見た途端、私は少し興ざめしてしまい、

すこしことさめて、

「いっそこの木さえなければ、もっと趣深かっただろうに」と思ったことでした。

「このからましかば」とおもえしか。

📚古文全文

神無月かんなづきのころ、栗栖野くるすのといふところぎて、ある山里やまざとたづることはべりしに、はるかなるこけ細道ほそみちけて、心細こころぼそみなしたるいおりあり。
うづもるる、懸樋かけひのしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚あかだなに、きく紅葉もみぢなどらしたる、さすがにひとのあればなるべし。
「かくてもあられけるよ」と、あはれにるほどに、かなたのにわに、おおきなる柑子こうじの、えだもたわわになりたるが、まはりをきびしくかこひたりしこそ、すこしことさめて、「このからましかば」とおもえしか。