古文で読みたい

古典を読みたい人が、古典にアクセスするための本です

徒然草001|いでや、この世に生まれては・・・

真の古典の魅力は、作者が紡いだ原文の中にこそ息づいています。「古文で読みたい徒然草シリーズ」で、現代語と古文を併読することで、古の言葉が今なお放つ光を確かめてください。

💭ポイント

人の理想のあり方について、身分や容姿、心の持ち方、男性に必要な学問や芸術などの教養を説いています。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

🌙現代語対訳

さて、この世に生まれたからには、「こうありたい」と願う理想の姿はたくさんあるものだ。

いでや、このまれては、ねがはしかるべきことこそおほかめれ。

まず、天皇の御位は、この上なく尊い

御門みかど御位おほんくらいは、いともかしこし。

その子孫の末々まで、普通の人とは違う血筋であるというのが、極めて高貴なことだ。

たけ園生そのふ末葉すゑはまで、人間にんげんたねならぬぞ、やんごとなき。

摂政・関白といった最高位の貴族の立派さは言うまでもない。

いちひと御有様おほんありさはさらなり。

そこまでいかなくとも、天皇などに仕える側近を与えられるくらいの身分の人は、たいそう立派に見える。

ただひとも、舎人とねりなど、たまはるきはは、ゆゆしとゆ。

その子供や孫の代までは、親の威光で威張っていても、やはりどこか優雅な雰囲気がある。

そのむまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。

それより下の身分の者たちが、

それよりしもかたは、ほどにつけつつ、

その時々の時流に乗って得意顔をしていることもあるが、

ときにあひ、したりがほなるも、

本人は「自分は立派だ」と思っているのだろうが、実につまらないことだ。

みづからは「いみじ」とおもふらめど、いと口惜くちをし。

一方で、僧侶ほど羨ましくないものはないだろう。

法師ほふしばかりうらやましからぬものはあらじ。

「人からは木の切れ端のように(軽く)思われるものだ」と清少納言枕草子に書いているが、本当にその通りだ。

ひとにははしのやうにおもはるるよ」と、清少納言せいせうなごんけるも、げにさることぞかし。

権力を持って評判になっている高僧を見ても、少しも立派だとは思えない。

いきほひまうに、ののしりたるにつけて、いみじとはえず、

昔、増賀上人という偉い僧が言ったように、名声ばかりを求めていて見苦しく、仏の教えに背いているようにさえ思える。

増賀聖ぞうがひじりひけんやうに、名聞みやうもんぐるしく、ほとけ御教みおしへにたがふらんとぞおもゆる。

むしろ、ひたすら仏道修行に打ち込んでいる世捨て人のような僧侶には、かえって理想的な姿を感じることもある。

ひたぶるの世捨よすびとは、なかなかあらまほしきかたもありなん。

やはり人間は、容姿や立ち居振る舞いが優れているのが理想的だ。

ひとは、かたちありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。

話し方も聞きやすく、愛嬌があって口数が多すぎない人とは、いつまでも飽きずに付き合っていたいと思う。

ものうちひたる、きにくからず、愛敬あいぎやうありて、言葉ことばおほからぬこそ、かずむかはまほしけれ。

逆に、素晴らしい人だと思っていたのに、がっかりするような内面が見えてしまったときは、本当に残念な気持ちになるものだ。

めでたしとひとの、心劣こころおとりせらるる本性ほんしやうえんこそ、口惜くちをしかるべけれ。

家柄や容姿は生まれつきかもしれないが、心は違う。

しなかたちこそうまれつきたらめ。

優れた人の影響を受ければ、良い方向へ変えていけるはずだ。

こころはなどか、かしこきよりかしこきにもうつさばうつらざらん。

もともと容姿や心根が立派な人でも、教養がなくなると品性まで下がり、

かたちこころざまひとも、ざえなくなりぬればしなくだり、

見た目からして下品な人たちと付き合うようになって、

かほにくさげなるひとにもまじりて、

その悪い影響を受けてしまうのは、実にもったいなく、残念なことである。

かけずけおさるるこそ、本意ほいなきわざなれ。

身につけておいてほしいことは、本格的な漢学、漢詩、和歌、そして音楽の才能だ。

ありたきことは、まことしきふみみち作文さくもん和歌わか管絃くわんげんみち

さらに、朝廷の儀式や政務について詳しく、人の手本となるほどであれば素晴らしい。

また、有職いうそく公事くじかたひとかがみならんこそ、いみじかるべけれ。

文字も下手でなくすらすらと書き、歌の声も良く、上手にリズムをとれるのが望ましい。

など、つたなからずはしき、こゑをかしくて、拍子ひやうしり、

気の毒になってしまうので、お酒が飲める方が男性としては好ましい。

いたましうするものから、下戸げこならぬこそ、をのこはよけれ。

徒然草絵抄』(小泉吉永所蔵) 出典: 国書データベース

📚古文全文

いでや、このまれては、ねがはしかるべきことこそおほかめれ。

御門みかど御位おほんくらいは、いともかしこし。たけ園生そのふ末葉すゑはまで、人間にんげんたねならぬぞ、やんごとなき。いちひと御有様おほんありさはさらなり。ただひとも、舎人とねりなど、たまはるきはは、ゆゆしとゆ。そのむまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それよりしもかたは、ほどにつけつつ、ときにあひ、したりがほなるも、みづからは「いみじ」とおもふらめど、いと口惜くちをし。

法師ほふしばかりうらやましからぬものはあらじ。「ひとにははしのやうにおもはるるよ」と、清少納言せいせうなごんけるも、げにさることぞかし。いきほひまうに、ののしりたるにつけて、いみじとはえず、増賀聖ぞうがひじりひけんやうに、名聞みやうもんぐるしく、ほとけ御教みおしへにたがふらんとぞおもゆる。ひたぶるの世捨よすびとは、なかなかあらまほしきかたもありなん。

ひとは、かたちありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。ものうちひたる、きにくからず、愛敬あいぎやうありて、言葉ことばおほからぬこそ、かずむかはまほしけれ。めでたしとひとの、心劣こころおとりせらるる本性ほんしやうえんこそ、口惜くちをしかるべけれ。

しなかたちこそうまれつきたらめ。こころはなどか、かしこきよりかしこきにもうつさばうつらざらん。かたちこころざまひとも、ざえなくなりぬればしなくだり、かほにくさげなるひとにもまじりて、かけずけおさるるこそ、本意ほいなきわざなれ。

ありたきことは、まことしきふみみち作文さくもん和歌わか管絃くわんげんみち。また、有職いうそく公事くじかたひとかがみならんこそ、いみじかるべけれ。など、つたなからずはしき、こゑをかしくて、拍子ひやうしり、いたましうするものから、下戸げこならぬこそ、をのこはよけれ。